自主と強制③

強制というと、聞こえは悪いかもしれません。

 

強制労働、強制執行、強制連行、強制終了、強制終了・・・。どれもいいイメージはもちにくいですね。勉強でも、強制というと無理やりやらされているようで、いい感じはしないものです。

 

しかし、そもそも、人間は強制というか制約があるからこそ、がんばれるというところがあります。

 

予算に制約があるからこそ、食材購入に工夫がうまれ、調理法の技が生まれるのです。時間に制約があるからこそ、要領よくやろうとする知恵が生まれるのです。永遠の命があったなら、今しなければならないという発想は生まれにくいでしょう。世の偉大な小説も締め切りがあるからこそ、生まれたともいえるわけです。

 

勉強も同じです。

 

「学校や塾は行かないとダメだよね」という思いがあるから、そこに行って勉強するわけです。

「宿題をやってこないとマズイ」と考えるから宿題をするわけです。

 

いずれも強制的な側面がプラスにはたいているわけです。

 

もし、すべてのことが自由であればどうでしょうか。

 

行ってもいかなくてもいい、やってもやらなくてもいい、という状況であれば、やっぱり、ラクなほうに流されていくかもしれないわけです。そう考えると、自主だけでもうまくいかないものかもしれません。

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