2010 年 2 月 のアーカイブ

精一杯やれたか?

2010 年 2 月 26 日 金曜日

 受験直前に、「精一杯やれたか?」と聞かれて、うなずける生徒は少ないのではないでしょうか。

 毎日、長時間受験勉強を続けてきた生徒でも、「だらだらした時間があったし」とか「1学期はさぼってたから」「もう少し早起きできたかも・・・」などと、足りていなかったところを探して、自分を責めたりするものです。

 ですから、「精一杯やれたか?」と聞かれて、「はい、やりました!」と答えられる子どもは、やはりすごいわけです。どんなことでも、自信がないといけません。最初から、「もうダメだ」と思っていると、うまくいかない方向に引っぱられたりします。

 では、どうすれば、精一杯やれたという実感をもって、入試に臨むことができるのでしょうか。

 「日々の計画をたてる」ことが、その手助けになると思います。

 1日単位で、すべきことを決めます。「今日はここまでやればOK」というラインを自分で引くわけです。日々、決めたことをこなしていくことが、「精一杯やった」という実感になるわけです。

 1日でできることは、小さいかもしれませんが、その集大成でしか、大きいことはできないのです。

 

家庭教育力チェック!

2010 年 2 月 25 日 木曜日

 

植物の種はどんな場所に落ちるかによって大きく変わります。ふかふかで栄養分たっぷりの土に落ちれば大きく成長するでしょうし、日陰で栄養分の乏しい荒れ地に落ちれば芽がでにくいものです。子どもの成長も似ています。子どもにとって、頭の栄養分いっぱいの家庭を目指しましょう。

 

次の項目であてはまるものがいくつあるかチェックしてみましょう。

□親子でニュース番組をよく見る

□リビングに本棚がある

□ゲームの時間は決めている

□親子でよくおしゃべりをする

□家の中に世界地図が貼ってある

□夕食の時にはテレビをつけない

□毎日必ず机に向かう時間がある

□親が書きものをしていることが多い

□子どもが学校で何を習っているか、親が知っている

□博物館や科学技術館などによく行く

□食事は手作りのものが多い

□辞書や事典をよく使う

 

10以上 栄養分たっぷりの土。成長が楽しみです!

7~9 ふつうの土。肥料を足せばいい土になります。いい習慣を取り入れましょう。

3~6 やせた土。少しずつの努力が家庭環境をよくします。できることから始めましょう。

2以下 不毛の土(!?)。子どもの成長は遅いようではやいものです。悔いのない子育てを。

冷蔵庫のプリン②

2010 年 2 月 23 日 火曜日

 人は判断を誤ることがあります。無知が故に間違ってしまうこともあるのですが、判断ミスの多くは、「感情」がその原因になっているものです。

 すなわち、桃子さんも、感情的にならなければ、正しい判断ができたかもしれません。

 たとえば、そのプリンが、自分のではなくお父さんのだったら、どうだったでしょうか。

 「あんた、お父さんのプリン食べてるの?」
 「ううん、これぼくのだよ」
 「ふーん、そうなの」
 「ほら、お父さんのと種類がちがうでしょ」

 冷静に応対すれば、もめることもないですし、腹がたつこともなかったわけです。

 自分の感情を入れずに判断する、ということはむずかしい場合もあるでしょう。けれども、自分の感情が、判断ミスを引き起こすこともあるんだ、ということを知っておくことは大切なことだと思います。

冷蔵庫のプリン①

2010 年 2 月 22 日 月曜日

 人は意外と正しい判断ができるものだと思います。できないとすれば、それは、「感情」がじゃましているのかもしれません。

 中2の桃子さんは、テニス部に入っています。その日も暑い中、へとへとになるまで練習しました。重い足をひきずって帰宅した桃子さんの楽しみは、冷蔵庫の「プリン」でした。甘いものは大好きなのですが、その中でも「プリン」は大好物なのです。やわらかい食感、口の中で広がる何とも言えないおいしさ、冷たいプリンが疲れた体を心地よく癒してくれるのです。「早く家に帰ろう。帰って、昨日、イルカスーパーで買ってきた『北海道フレッシュカスタードデラックスプリン』を食べよう」そう思うと、疲れ切った足も心なしか、軽くなったような気がするのでした。

 「ただいま!」家に着くと、靴もそろえず、かばんもリビングに放り出したままで、冷蔵庫にめがけて突進していきました。「がばっ」と勢いよく冷蔵庫のドアをあけて、プリンを探します。  「ない・・・」 おかしい。昨日、ドアのポケットに入れておいたはずなのに。もう一度探す。やはり、「ない・・・」 念のために、冷凍庫や野菜室の中も見てみたが、プリンはどこにも見あたらなかった。

 「お母さんっ、わたしのプリン、どこ?知らない?」
 「プリンなんてしらないわよう」

 どこかまのびした母の声が、庭から聞こえてくる。

 ダダダダッ、全速力で階段を駈け上がる。 「犯人はあいつしかいない!」  ドアを開ける。するとそこには、のんきにテレビゲームをしている弟がいた。
 「あんた、お姉ちゃんのプリン、知らな・・・」
 と言いかけたとき、弟の傍らに、空になった『北海道フレッシュカスタードデラックスプリン』が無惨に横たわっているのに気づいた。

 「ちょっと、あんた、何してんのよっ!!」
 大声をだしている自分を、もうとめることはできなかった。
 「なんで勝手に食べんのよ!このバカっ!」
 無意識に、あるいは、本能的に、右手が弟のほほをとらえていた。ぐらっとよろめく弟に、間髪入れず蹴りが入る。(楽しみにしていたのに。楽しみにしていたのに・・・)悔しい気持ちが、心の中からあふれ出てくる。

 と、その時、母親が部屋に入ってきた。
 「それ、健太のプリンよ。よく見てみなさいよ。あんたのとちがうでしょ」

 目の前には、ほほを真っ赤にして涙目になっている弟と『十勝クリームムースプリン』と書かれた空容器が転がっていた・・・。

ことばの威力

2010 年 2 月 19 日 金曜日

 ことばには、ものすごく強い力があります。

 武力によって支配され、征服民の言語を強要された民族はどうなるでしょうか。自分たちの言語を失った民族は、やがて、その文化も衰退し、根無し草のように固有のアイデンティを失った民族になっていきます。

 わが国でも古くから言霊(ことだま)思想があります。

 声に出したことばが現実のことがらに対して、何らかの影響を与えると信じられていました。すなわち、よいことばを使うとよい現象がおこり、わるいことばを使うとわるい現象がおきる、というわけです。

 さて、問題です。

 問題1 「経営の順調な会社をことばだけで、倒産させることは可能でしょうか?」

 問題2 「仲のいい家庭をことばだけで、離散させることは可能でしょうか?」

 きっと、ネガティブなことばばかりが行き交う状態になれば、いともかんたんに集団はその機能を失うことでしょう。

 だとすれば、反対に、ポジティブなことばをたくさん使えば、どうなるでしょうか。

 使っていることばには、クセがあります。知らず知らず使っていることばというのは、だれにでもあるものです。だからこそ、使うことばは自分自身で選んでいきたいものです。「すごい」「さすが」「うれしい」「幸せ」「よかった」・・・明るいことばがとびかう家庭はきっと明るい雰囲気であるはずです。

「開成親学セミナー」開催のお知らせ

2010 年 2 月 17 日 水曜日

 2010年度、最初のセミナーの要項が決まりました!

 4月24日(土)10:30~12:00 梅田本社 にて行います。

 小学生・中学生の保護者の方を対象に、「子どもを伸ばす親のはたらきかけ」について、お話します。 

 セミナーでは、「子育てのやり方を教える」というより、「いろいろな事例を紹介する」というスタンスでお話しします。さまざまなケースから、子育ての参考にしていただければ、と思います。

 参加申し込みにつきましては、こちらの「申込フォーム」からしていただけます。今回は、どの方にもご参加いただけます。お友だちとお誘い合わせの上、ぜひ、ご参加ください!
 

ポジティブとネガティブ

2010 年 2 月 17 日 水曜日

 「ネガティブに考えるといけない。ポジティブシンキングでいこう!」というようなセリフをよく聞きます。

 わたしも、おおむねその考えに賛成です。ネガティブに考えるよりポジティブに考える方が、うまくいくように思います。

 人類が、ネガティブ人間とポジティブ人間しかいなかったとしたら、どうなるでしょうか?

 ときは原始時代。毛皮を身にまとったわれわれの祖先がいます。ネガティブ思考ばかりする「ネガ族」の一団が、洞窟を見つけました。住む家がなく困っていた彼らにとって、絶好のすみかとなりうる洞窟です。洞窟を遠巻きにしながら、やがて、ひとりの男がいいました。「あの中には、猛獣がいるかもしれないぞ」 すると、別のひとりも「崩れ落ちたら生き埋めで、一巻の終わりだぞ」「洞窟の中にいるときに、敵に攻められたらひとたまりもないな」 結局、ネガ族は、洞窟に入ることなく、住む家を探して、放浪をtづけました。

 その少しあと、ポジティブ思考ばかりする「ポジ族」が、同じ洞窟を見つけました。ひとりの男が言いました。「おっ、あんなところに洞窟があるぞ」「これで寒さから逃れられる!」「やったぞ、ラッキーだなあ」 口々に喜びの声をあげながら、洞窟の中に入っていきました。洞窟の中に猛獣がいるのかどうか、天井は堅いのかもろいのか、敵が来たとき防げる地形なのかどうか、それはいっさいわかりませんが・・・。

 おそらく、みんなが、「100%ポジティブ人間」であれば、人類はとっくの昔に滅んでいることでしょう。
 一方、みんなが、「100%ネガティブ人間」であれば、人類は原始の時代のまま、全く進化していないのかもしれません。

 大切なことは、ポジティブとネガティブのバランス。

 ネガティブ思考で問題点を洗い出しつつ、ポジティブ思考で実行していくのが、よさそうです。

信じる心

2010 年 2 月 15 日 月曜日

わたしが新人のころの話です。

 担当していた中2のクラスで、クレームが続きました。
 そのクラスは、15名全員が女の子。
 わたしの塾講師としての技量の低さと人間的な未熟さが、生徒たちの不満を高めさせたいちばん大きな要因でした。

 クラスの中で核となっていた女子が3名、授業の前後に職員室に来ました。
 当時、教室責任者だった、T先生に
 「先生、あの英語の先生(わたしのことです)、サイアク!全然授業がわからない!」
 「英語の先生、代えてよ!」
 「あの先生のせいで、成績下がった!」
 と、わたしの目の前で抗議される日が続きました。

 正直、やめようと何度思ったかわかりません。

 講師としての自信は、このころ、0%でした。

 そんなある日、T先生に話があると呼び出されました。
 ああ、クビになるのかな、などどとぼんやり考えていると

 「生徒はあんなこといっているけど、きみは絶対いい講師になるよ。これも、勉強だと思って、どうやったらうまくいくか、考えてごらん」

 と、言われたのです。

 予想外のことばでした。

 「絶対いい講師になるよ」
 そう、言われたことが心に残りました。

 もしかしたら、まだ、なんとかなるかも。
 ここで逃げたら、絶対ダメだ。
 まずは、一生懸命、誠心誠意、授業をやってみよう。

 そして、半年たったときには、そのクラスの女の子たちもすっかりなついてくれました。

 下手なりにも、一生懸命教える姿に何か感じてくれたようです。

 
 自分を信じてくれる人がいるというのは、幸せなことです。

 信じてくれる心が、どん底にいるときに、がんばる原動力になります。

 
 子どもにとって、自分を信じてくれる教師や親がいること。

 その大切さを改めて思います。

けんかの原因

2010 年 2 月 12 日 金曜日

 人とコミュニケーションをとるということは、脳を鍛えるうえでも、心を育む上でも、たいへん重要なことです。たくさん話をして、自分の思ったことや感じたことを伝え合うことが、コミュニケーションの基本です。

 人と人が接すると、摩擦が生じることもあります。

 考え方がちがったり、気持ちをわかってもらえなかたり、相手を必要以上に責めたりと、けんかの原因は多種多様です。その中でも、「ことばの解釈」が原因でけんかになることは、少なくないように思います。

 たとえば、「介護」ということばについて、夫は「ごはんを食べさせてあげたり、トイレに連れて行ってあげること」ぐらいのことと考え、妻は「お風呂に入れたり、下の世話をすること」と考えているとすると、それが原因でけんかになるかもしれません。
 夫 「うちの親も、そろそろ介護が必要かもな」
 妻 「えっ、わたしは無理よ。仕事もあるし。子どもの世話とか家事だってたいへんなんだから」
    (わたしの母も祖母の介護をしてたけど、寝たきりだったから本当にたいへんそうだったわ)
 夫 「それでも、少しぐらいはできるだろう」
    (ごはんを食べる手伝いをしたりするぐらい、できるだろう)
 妻 「そんなこと言ったって、わたしも忙しいんだから・・・」
 夫 「本当におまえは情がないよなあ!」
 妻 「そんなこというなら、あんたやってみなさいよ!」

 同じことばを使っていても、それぞれの解釈が異なれば、お互いを理解するのは難しくなります。そのことばを「どんな意味」で使っているのかを共有すると誤解は少なくなります。

 「それって、どんなたとえばどんなことするの?」
 「ぼくは、それをこういう意味に受け取ってるけど、きみはどう?」

 お互いの頭の中に同じイメージが浮かんでいる状態であれば、きっとけんかも減ると思います。
 

 

「たとえば力(りょく)」を鍛える

2010 年 2 月 10 日 水曜日

 国語の文章読解において、抽象的な事柄を具体化する力は、非常に大切です。読解が苦手な子どもの多くは、文章をイメージ化することが、難しいようです。頭の中に映像が浮かべることができなければ、確かに意味はとりづらいですね。

 「去年のある日、父とわたしは明石海峡大橋を渡って、車で淡路島の親戚の家へ出かけた」というような文であれば、比較的、イメージしやすいと思います。父親が車を運転している場面や、橋から見える瀬戸内海の様子などが浮かぶのではないでしょうか。次の文はどうでしょうか。「自然の収奪と汚染は後世に取り返しのつかないツケを残すことになるだろう」。収奪ということばは難しいですが、漢字から「奪い取る」というような連想はしやすいでしょう。「自然を奪い取って汚す」ですから、森林を伐採している様子や工場から汚水が流れ出ている様子などが浮かぶかもしれません。また、「後世に取り返しのつかないツケ」からは、公害病や水道から出てくる汚れた水、あるいは食糧不足に陥ってる世界の様子などを浮かべる子どももいるでしょう。では、次の文章はどうでしょうか。「わたしたちは、もう一度、ギリシア時代の世界観をかみしめる必要があるのではないだろうか」。ことばの意味はそんなに難しくないのですが、ギリシア時代の文化に関する知識がなければ、意味がとりづらいのは明白です。ミロのヴィーナスやパルテノン神殿、ギリシャ神話の神々、あるいはソクラテスやプラトンといったギリシア哲学など、思い浮かべるものの数が多ければ多いほど、より正確に理解できていると言えます。

 小中学生の子どもたちの中には、「抽象的なものを具体化すること」が苦手な子どもが少なくありません。「幸せなできごとって、たとえばどんなこと?」のような発問にも、答えられない子どももいます。授業中、こんなやりとりになったこともありました。

 山口 「まずしい食事ってあるけど、たとえばどんな食事だと思う?」
 生徒 「なんか、しょぼいごはん」
 山口 「しょぼいごはんか、そうやな。で、具体的にいうとどんなごはん?」
 生徒 「安っぽいねん」
 山口 「たとえば?」
 生徒 「まずそうなやつ」
 山口 「だから、例を挙げると何?」
 生徒 「うーん。わからん!」

 といったように、意外と「具体化」することは難しいようです。

 こういった力は、家庭の中の何気ない会話で訓練することができると思います。
 1.子どもに発問する
  「たとえば?」や「例を挙げてみて」なといったことばは、子どもが考えることを促します。
 2.親が例を示す
  子どもが答えられないときは、親が具体例を挙げていくといいでしょう。
  子どもの頭の中にいろいろな映像をインプットしていきましょう。

 子どもが「イメージ力」を高めるために、親は「たとえば力」を鍛えていくといいのです。