小学生・中学生・高校生対象の学力アップ・中学受験・高校受験・大学受験志望校合格を目指す個別指導の学習塾

仕事に対して一生懸命になれるのは父と一緒に働いた時間があったから

エリアマネージャー 板橋教室 学習プランナー

中村浩彰先生

好きな作家:東野圭吾、湊かなえ
座右の銘:為せば成る、為さねば成らぬ何事も
趣味:人から褒められること

人に対して優しくできるのは母が優しい気持ちをくれたから。

皆様は我が子の将来について、どのように考えていますでしょうか。

 私の将来は父の後を継いで、大工になると幼稚園から言い続けられていたため、私の未来の職業は物心がつかないうちに決まっていました。小・中学生の時に書いた文集も書いた絵も大工に関係していた内容でした。それを見た時に父は嬉しそうな顔を見せてくれましたが、歳を重ねるにつれて、自分の中で「このままで良いのか」という疑問が浮かんできたことも事実でした

 私が小・中学生だった頃の父の口癖は「おまえは後を継ぐのだから勉強なんかしなくてよい」でした。対照的に母からは「宿題をしなさい」「テスト勉強をしなさい」とよく言われていました。子どもから反感を買われても、厳しい言葉を言い続けた母が、とても良い親と気付けたのは、この仕事に就いてから感じることでした。 
 高校生になると「先生になりたい」と思う気持ちがどこからともなく表れてきましたが、「建築学部以外は大学に行かせる意味がない」という言葉で、その気持ちはどこかに消えて行きました。小さい頃から言われ続けてきた「将来」に対抗するだけのやりたいことは、そのときの自分にはなかったのだと思います。すぐにでも一緒に働き、自分の技を伝えたかった父は受験の際に「落ちたら、大工になって働け」との言葉を私に投げかけてきました。そのため、大学受験で失敗すれば働く環境が待っていた私は必死に勉強していました。

 大学生になると高校時代の友人から小学生から高校生を相手にしたボランティア活動に誘われました。子どもとの関わりや同じ目的を持った同世代の仲間との時間は今の自分を形成する上で非常に重要な時間だったと思います。しかし、大学の勉強よりもボランティアを優先するような生活を一時期過ごしていたため、父からの猛反発を受けました。父の意見が絶対だった家庭だったため、大概のことはあきらめて従っていましたが、初めて見つけた自分のやりたいことは、どんなに涙を流しても、あきらめることはできませんでした。その後、生活を見直し、やりたいことをやるために、やりたくないことを一生懸命続けることで、しだいに父が協力的になってくれたことを覚えています。

 大学を卒業してから、家業を手伝い始めましたが、慣れない力仕事で、家に帰ると倒れこむような日々が続きました。また、建築学科で勉強したことは、いざ現場に入ると思う程は役に立ちませんでした。頭でわかっていても、釘はまっすぐ打てない、鋸はまっすぐひけない・・・父には毎日、怒られていました。勉強をしないことで怒られたことはなかったですが、父が真剣にやっている仕事でのミスはとても怒られました。

 最近、実家に帰り両親と話す機会があり、感じたことがあります。それは、「人に対して優しくできるのは、母が優しい気持ちをいっぱいくれたから」「仕事に対して一生懸命になることができるのは、父と一緒に働いた時間があったから」ということです。私が中村家の子どもとして何十年もの時間が経過しましたが、私はこの家の子どもで良かったと心から思えるようになりました。もちろん、理不尽に怒られた経験もしましたし、友人の親を羨ましいと感じたこともありました。それでも…
「誰よりも私のことを真剣に考え、あきらめずに意見を伝えてくれたこと」
「落ち込んだときに、助けるのではなく見守ることを選択してくれたこと」
このような瞬間を経験させてもらったことにはかないません。他にもたくさんありますが、これ以上書くと涙が出そうなので止めておきます…。

 最後に、子どもが大人になった時の思い出話に華を咲かせる為に、たくさん親子喧嘩をしてください。今の子どもの年齢では理解できなくても、10年先に理解することはできるかもしれません。だから、伝えることをあきらめないでください。子どもが本当に嫌いな親がいないように、親のことが本当に嫌いな子どもはいないですから…。

 これからも、母から受け継いだ「優しい心」と父から受け継いだ「仕事への責任感」に誇りを持ち、教室で皆様と関わっていきたいと思います!

※本文中の赴任教室名・部署名は原稿当時のものです。現在とは異なる場合があります。

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