◆合格発表は免許合宿中でした
受験が終わった2日後に自動車の免許合宿に行きました。行ったのは兵庫県の丹波篠山自動車学校です。雪も少し降っていました。だから、合格発表はすべて自動車教習所の合宿所でした。
第一志望の同志社の合格発表の時間は、ちょうど車に乗って実習の運転中でした。インストラクターのおじいちゃん教官に「そろそろ合格発表なんですよ」と言ったら。「マジかっ」てなって、教官は講習を早めに切り上げてくれました。発表を教官と一緒に車の中で見て「受かったー」って叫びました。おじいちゃん教官も一緒に喜んでくれました。
◆僕の高校生活
僕は、バスケットボール部のキャプテンをしていました。僕らの代は結構強いと、周りから期待されているチームでした。
バスケットは、年に3回大きい大会があります。1回と2回目は、「新人戦」と「インターハイ予選」です。でもどちらも初戦敗退。学校の先生とかバスケ界隈での期待はガタ落ちでした。僕は、キャプテンでみんなを引っ張っていく立場だったんですが、敗因はクラブのみんなが練習をさぼったりとか、あまり部活に本気でなかったからでした。口で「やろうや」とか言ってもクラブの雰囲気は変わらなくて。その頃、「キャプテンがここで諦めたらチームが終わる」、「自分の行動で勝とうとする意志を示そう」と思って、みんながやらなくても、筋トレの時間でも僕一人でもトレーニングをやって活動を続けました。そのうち、周りも乗ってくれて、部活最後の「ウインターカップ予選大会」では、4回くらい勝ち進めて、府下ベスト32まではいけました。
僕は6月の文化祭の劇で主役をやらせてもらいました。
寝屋川高校は高3の文化祭はクラスごとに劇をやるんです。全9クラスでクラス対抗です。うちのクラスの出し物は「ピーターパン」でした。僕のクラスはグランプリ優勝できました。ちなみに助演も一緒にフリーステップに通っていた友達です。ちなみに準優勝のクラスの主演も助演もこのフリーステップ香里園駅前教室の生徒でした。(笑)
僕は、部活も学校行事も全力で頑張れたと思います。
◆元々文系だったのに「理転」しました
高2の時からクラスは文系のクラスでした。高3でも、GCクラスという文系の中でも成績が良い人が集められているクラスに入っていました。でもなぜか途中から理系に行きたくなりました。今から考えたら、なぜ理系に行きたくなったか分からないけど、急にそんな気になったんです。
当然、学校の勉強が英語以外全部受験でいらない授業になってしまいました。最低限、学校の単位は取りながら、受験勉強は学校の授業ではやらない理系の勉強ばかりになりました。学校では理系の授業が受けられなかったので、数Ⅲも生物も、ゼロからフリーステップで教えてもらいました。
フリーステップとサテラインの両用で、なんとかその2科目も勉強することができました。
当然、勉強では苦労しました。
まず、数Ⅲに関しては、僕は完全にゼロからの勉強だったので、模試でも最初は全然点が取れなかったです。ちょっと泣いていた時期もありました。
末光先生に、おんなじ問題集を何周もして極めた方が良いと言われて、1冊の問題集(代ゼミサテラインのテキスト)を夏休みに3周し、夏休み後から直前期までは、もっとレベルの高い「理系重要問題集」を4周しました。めっちゃ難しかったけどやり切りました。入試直前にはどの問題を見ても答えを覚えているくらいまで徹底的にやりました。
生物は、代ゼミサテラインの大堀先生の授業をしっかり受講しました。「基礎問題精講」という問題集を2周して、ネットとかも活用して、その後、「合格177問」という問題集を3周やりました。間違えた問題を全部ルーズリーフにまとめて、自分の参考書みたいにしていました。
◆お世話になった先生たち
フリーステップでは、たくさんの先生たちにいっぱいお世話になったので名前を全部は挙げきれないです。特に、山本先生、庄野先生、増井先生、石原先生、末光先生、鈴木先生、そして梶井さんはお世話になりました。感謝しています。
受験期、勉強をし過ぎて鬱みたいになっていた時期がありました。その頃、自習室で勉強をしていたら、梶井さんが急にやって来て「あなた大丈夫なん」と話しかけられて、それで気が楽になりました。救われました。
◆後輩へのアドバイス
諦めないことです。僕は、直前期の模試でもD判定でした。模試の結果を見て一喜一憂するのもよいですが、自分がやれるところまで詰めてやった方が、落ちても合格しても納得できます。自分が納得できるところまで受験勉強はとことんやるべきだと思います。