◆合格発表の時
その日に合格発表が2つあって、ネットで自信のない方から先に見ました。そっちはダメで、自信がある方をドキドキしながら見ました。受かっていました。
めっちゃ大きな声が出ました。「受かったー」って。リビングで発表を見たのですが、親もその場にいました。親の方が緊張していたみたいです。お母さんが「おめでとう」と言って泣いていました。お母さんが泣いたのを見たのは野球の時とこの合格の時だけです。
◆高校でのクラブ活動
僕は、寝屋川高校の野球部でピッチャーをしていました。この夏は、2回戦で強豪の関大北陽にぶつかり負けてしまいました。去年も4回戦まで行ったのですが、同じ関大北陽に負けました。毎日、毎朝5時に起きて朝練。寝屋川高校は定時制があるので、夜はあまり時間がなくて、毎日6時くらいまでしか練習ができなかったです。今年の寝屋川は強いとは言われていましたが、2回戦負けは残念でした。
◆フリーステップに入ったきっかけ
緊急事態宣言が出た頃、クラスの友達や部活のメンバーも、一旦みんな、勉強の方に意識が向いた感じで、その時僕も塾に入りました。高2の1月の終わり頃です。気持ち的には、塾に入るのが遅いと思いました。何人か同じ高校で入っている人がいると聞いて入塾しました。クラブ終わりにそのまま塾に来て、教室が閉まるまで自習室で自習をしました。
◆入塾してからの受験勉強
入塾したころ、僕は全教科とも全体的にだめでした。
まず、英語の勉強は単語暗記からしました。副チーフの梶井さんに、毎回「システム英単語」からの単語テストをさせられました。1週間に300個くらいのハイペースです。最初はキビしかったけど、段々慣れてきて、夏くらいには一通り覚えることができました。梶井さんには同じ個所を繰り返しテストをしてもらい、いつも結果を見て勉強状況をチェックしてもらっていました。
英語の授業は冨山先生に見てもらっていました。冨山先生からも「シスタン」のテストをかなり毎回きつめに出してもらっていました。単語力が付くにつれて、だんだん英語長文が読めるようになってきました。9月から10月頃には、結構、英語に手ごたえを感じるようになってきました。途中でスランプもありました。英文は読めるけど、問題が解けない。スランプを突破できたのは、「シスタン」の最後の難単語の4章を完璧にしたからだと思います。同志社の英文の細かいところが、読めるようになってきました1月頃には、英文を読むのが楽しくなってきました。
数学は末光先生にお世話になりました。僕は、最初は三角関数あたりから分かっていなくて。それでも先生は丁寧に図を描いて教えてくれました。親身になってくれる先生です。授業ではない時でも、出そうな問題のプリントを作ってくれたりしていただきました。話のしやすい先生です。数Ⅲも基礎から教えていただきました。
化学は講習で受講しました。化学の中塚先生は、僕の抜けていそうなところを中心に教えてくれました。先生とは年も近いので、ほぼちょっと先輩という感じで接してくれたて、わからないところとかも聞きやすかったです。
代ゼミサテラインでは、亀田先生の授業を受けていました。結構細かくて、同志社受験ならそこまで不要かもしれません。数学は、阿由葉先生の授業を受けました。夏ごろには年間分の授業を全部終わらせて、力はついたと思います。
僕は、勉強は塾の自習室がメインで、家ではちょっとしか勉強をしませんでした。
◆後輩へのアドバイス
僕は、受験勉強へのスイッチは、野球が終わってから入りました。何事も最後までやりきることが大切です。模試の判定とかが悪くても、いったん自分でやると決めたらやり切ることです。他人からではなく自分で決めたという、「自分の意志」で受験勉強をやる方が、最後まで頑張れると思います。