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開成教育グループ


ダニューブ・エクスプレス(その1)

 修学旅行でグアムや台湾へいく高校も珍しくなくなり、海外旅行がごく一般的になった昨今ではありますが、やはり大学生の間には海外をもふくめて絶対旅に出てほしいと思います。ということで昔、学生時代に乗った「ダニューブ・エクスプレス」の話をします。
 3 週間にもおよぶソビエト連邦(崩壊して早 20 年近くたち最早歴史用語です。ロシアと言ってもよいのですが、今の国名でいうとウズベキスタン、トルクメニスタン、グルジア、ウクライナにも行ったので、やっぱりソ連と言うべきです)の旅を経て、同行の友人とも別れ、モスクワから単身乗りこんだのが、ダニューブ・エクスプレスでした。行先はトルコのイスタンブルです。渡されたチケットの記載を見ると料金が約 3 万円、チケットの経由地を見ると国境通過が 3 回、チケットを手配してくれた旅行会社がくれた旅程表によると、車中泊 2 泊、約 40 時間の旅です。機内で雨を降らし窓からのすきま風が寒い(当時、現状はこうではない…と思いたい)航空会社、ア**フ**トとは違って、水漏れもなく寒くもない(冬でもかなり車内は暑い)、そして安い鉄道の旅なら快適だろうと期待していました。それに山に突っ込みかけた挙句に吹雪の中でも強行着陸をやってのける(当時、現状は少ない…と思いたい)航空会社、*エ***ー*とは違って、レールの上を走り吹雪の中でも落ちることがない鉄道は安心です。しかも、隣は食堂車でした。食いっぱぐれる心配もありません。冷え切った機内食が出る(しつこいようだが当時、現状は改善されたはず)航空会社、**ロ*ロ**とは違って、温かいものが食べられそうです。
 モスクワのキエフスキー駅(モスクワにはモスクワ駅はなく、乗車する列車の経由地によって乗車する駅が異なります。駅名はその経由地がつけられています)から乗り込むとコンパートメントは 3 人部屋で、あとの 2 人はともにイラク人で、留学先のタシュケントから帰省する学生でした。1 人は John Oates 似の日本人の中東のイメージにかなり近い雰囲気を持つ小柄な男、もう 1 人は Bruce Hornsby 似の白人の大柄な男でした(当時の第一印象なのでたとえられる人間が古いです。具体的にどんな顔かを知りたければ YouTube でも御覧ください)。彼らは、しきりに「金を持っているのか」「ビザを持っているのか」といろいろなことを聞いてきました。警戒している私は、ごく一部のキャッシュだけ見せただけでした。彼らは私のことを相当ビンボーだと思ったようです(ヨーロッパから日本に帰るチケットを無謀な私は日本で手配してません。だから実はちょっと金持ちだったのです)。
 発車は夜の 22:30 でした。出発すると早速車掌がやってきました。米ドルを売らないかという話です。公定レートの 5 倍ほどで買うとのことです。とはいっても明日はもうソ連出国する予定のみです。ルーブルは海外へは持ち出せません。もっと早く言ってくれればいいのにと思いつつ断ると、今度はジーンズや腕時計を売ってくれと言ってきます。これは米ドルよりも高くで売り捌けるのですが(当時、いらないものを日本から持って行きこれで旅費を稼いでいる日本人もいました)、売ると自分が着るものがなくなるので泣く泣く断ります。個人で旅行するとこういうことが楽しめます(リスクもあります)。
 翌朝、起きると間もなくキエフです。今はウクライナの首都であるキエフですが、当時はその数年前に大事故を起こしたチェルノブイリ原発から直近の大都市として知られていました。しかもキエフは雨が降っていました。車掌は車両から出るなと言ってきました。停車時間も短いので出ることもありませんが。
2 日間で 3 回の出入国をするはずなのだから、キエフを出ればもうすぐソ連出国だろうと思っていたのですが、なかなかそのような雰囲気ではありません。留学生の 2 人はのんきに昼寝をしています。ちなみに彼らは私をよほどのビンボー人と思ったのか、この日レストランにまで連れて行ってくれ全部奢ってくれました。
 暗くなってきてもまだ国境には着きません。地理的に考えてもこれはおかしい。車内をうろついていると(とはいっても別の車両に移ることは、いつ切り離されるかわからない国際列車内では危険なので、遠出はできません)「ソ連国際列車時刻表」(英語版)というものが置いてありました。それを見ると、どう考えても車中泊は 3 泊でした。これで謎は解けました。これでまともなルートを走っていることはわかりました。ついでにキエフの段階ですでに 2 時間以上遅れていたことも分かりました。すでに日本を離れて 3 週間、ハプニングに鈍感になっていて(死ななきゃいいぐらいで臨むのがポイント)、どうせイスタンブルのホテルの予約もしていない私にとってはスケジュールが 1 日延びても大したことではありませんでした(この先もまだまだハプニングは起こりましたが)。
 深夜、ようやくソ連とルーマニアの国境のソ連側の駅ウンゲニー駅に着きました。車両を切り離す音がかなりの長時間続いた後、ようやく出国の審査が始まりました。ソ連の出国審査は悪名高いものでしたが、とくに完全に個人旅行者である私には苦難の道が待っていました。(続く…)

片岡尚樹


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