「良き受験生」と言うこと

2017年3月3日

「良き受験生」と言うこと

 

日本語に「良き」という言葉がある。

いろいろな言葉にその「良き」あるいは「良い」を使うとことができる。

例えば、「良き父親」「良き母親」あるいは「良い医者」「良い教師」などである。

 

これに対して、「悪しき」「悪い」という言葉もある。

「悪い親」「悪い母親」「悪い医者」「悪い教師」などである。

 

さて、ここに一人の役者がいるとしよう。

その役者に、ある舞台で、「良い医者」の役、あるいは「良い教師」の役を演じて欲しいと依頼したとしよう。

きっと、その役者は、たったそれだけの条件であっても、なにがしかのイメージをもってそれらしく演技をすることができるだろう。

 

同様に「悪い父親」の役、「悪い政治家」の役をやってくれと依頼すれば、おそらく彼は、それなりに上手にその役を演じることができると思う。

 

つまり、「良い」という言葉が意味すること、あるいは「悪い」という言葉が意味するものは、それを聞く人たちにとってずいぶんと共通のイメージなのである。

 

さて、前置きが長くなった。

 

話題を君たち高校生に置き換えてみよう。

 

保護者からの、自分の息子、あるいは娘が、まだ受験生としての気構えができていない、とか、受験生としての振るまいができていないという、悩みを聞くことがある。

 

多くの場合、保護者が持っている、「良い受験生」というイメージに、自分の子どもがマッチしていない、合わないということからそういう訴えがあるのだ。

 

今、高校2年生の諸君は、来春の受験を控えているから、時期的には受験生のはずだ。

 

しかし、時期的に受験生であると言うことと、中身まで受験生になっているかどうかは別問題だ。

 

自分が受験生なっているかどうかは、客観的に誰でも分かるものである。

 

「良き受験生」として、世間のイメージ通りのふるまいをしているかどうかということだ。

 

大人の役者にではなく、子役の役者に「良き受験生役」を頼んだとしても、その子はおそらく、夜遅くまで勉強をするとか、いつも単語集を持ち歩くとか、あるいはテレビやゲームというものを遠ざけようとするというような、演技をするのではないだろうか。

 

「悪い受験生」を演じてくれと言えば、子役のその子でも、いつまでもダラダラとテレビを見たり、夜遅くまでテレビゲームをしていたり、申し訳程度の勉強する、そのような受験制約を演じるのではないだろうか。

 

自分が良い受験生になっているかどうかは、どうしても自分が当事者であるために、自分を客観的に見ることが難しいかもしれない。

 

でも、自分の日々の過ごし方を第三者が見たときに、それがどう見えそうか、それを想像することは、そんなに難しいことでない。

 

受験までのしばらく期間、ぜひ「良い受験生」を演じて欲しい。

それが、志望校合格への第一歩だ。

 

まずは、「形から入れ」ということなのだ。

 

■受験を成功させるためには「良い受験生」でなければならない。良い受験生になるためには、まず、その「形」から入るべし。

 

フリーステップ香里園駅前教室チーフ 松本克彦