先生からのメッセージ
「夢」「好き」「楽しい」が「合格」につながる
受験じゃないんです。まず、夢をみること。それが大切!受験勉強をやり続けるというのは大変なことなんです。だけど、その先に「夢」があれば、つらいことも苦しいことも耐えぬける。古文の成績をあげることだって同じなんですよ。文法をマスターするのも大切。単語や熟語を覚えるのも大事。読解の方法を身につけるのも重要でしょう。だけど、根本的に、古文という教科を好きになってもらわないとダメなんです。「楽しい」と思えば、「どうしたらいいんだろう?」なんていろいろ悩まなくても成績は自然と伸びてきます。だからまず「好き」になること。みなさんに古文が好きになってもらえるよう私もがんばって授業をしますから、みなさんもしっかりついてきてくださいね!
望月講師へのインタビュー
先生の授業には、すごく癒やされます。言葉遣いがとても丁寧ですよね。90分授業が 終わった後で「ほっ」という感じで。お話もすごくおもしろくて。
僕は、授業しかできないんですよ。人前で話すことがものすごい苦手なんです。授業だけできるんです。だから、講演とかを頼まれたらできへんのです。結婚式とか、なんかの会合とかで、挨拶を頼まれますやろ。皆さん上手に「本日は遠方よりお集まりいただいて」とか、挨拶されますな。僕は、そういう挨拶ができない。人前でよく話をしているなと思うんです。一方的に話をすることが苦手なんでしょうな。相手がいて、はじめて話ができる。
先生が、人前で話をすることが苦手と思われているなんて意外ですね。
僕は、授業は生徒のおかげでできていると思っています。授業の子らに盛り上げてもらっているといつも思ってます。
授業中に当てるというのも、当てないと授業できないですね。変な話、生徒がおかしくなったら授業はできへんやろうなあ。生徒のやる気がないとか。
古文を学ぶ意味って何なんでしょうか。
僕の授業のスタンスは、古典を味わうとか鑑賞するのではない。入試に出ているから勉強するという立場です。
ところが、入試のこととして平家物語の話をしている。例えば「祇園女御」の話とか。清盛と遊女の話ですね。そうすると、生徒たちは古典のすごさを語っていないのに、生徒の方で古典のすごさを勝手に感じ取っている。勝手におもろいやんって。古典には何かそういったすごさがあるんですな。
言葉というのは大本を知っておかないと。言葉を知らないと考えることもできませんね。日本語を失ったら日本人でいられないでしょ。漢文も大切やと思います。昔の人はみんな漢文を学んでいた。漢文で書かれた古典を読んでいたら、何か違ってくるのではないか。そんなふうに最近感じています。漢文を知らないと小説も分からない。幸田露伴も森鴎外もわからへんでしょ。
受験勉強というのは、いろいろな文章に出会える機会なんですね。
入試問題ですばらしい知性に触れることができることってありますよね。例えば、詩人の書いた文章とかを、高校生はもちろん、普通は読むはずがないし、そんな機会は入試問題で触れるしかないでしょう。
高校生は、入試問題としてでしか難しい文章は読まないんですよね。