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開成教育グループ


読書の秋に思うこと

●文庫本を手にして・・・
「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かっては民を愚昧ならしむるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されとことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室より解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。・・・・・・・携帯に便にして価格の低さを最主とするがゆえに、外観を顧みざるも内容に至っては厳選最も力を尽くし、従来の岩波出版物の特色をますます発展せしめようとする。この計画たるや世間の一時の技術的なものと異なり、永遠の事業として吾人は微力を傾倒し、あらゆる犠牲を忍んで今後永久に継続発展せしめ、もって文庫の使命を遺憾なく果たさしめることを期する。芸術を愛し知識を求むる士の自ら選んでこの挙に参加し、希望と忠言を寄せられることは吾人の熱望するところである。その性質上経済的には最も困難多きこの事業にあえて当たらんとする吾人の志を諒として、その達成のため世の読書士とのうるわしき協同を期待する。            昭和二年 七月 」

真理は万人によって・・・この書き出しで始まる「読者子に寄す」の一文は、岩波文庫の巻末に掲載されているものである。文庫本の初の発刊に際しての先人の思い入れや息吹、情熱が強く込められています。そして、ありがたいことに、いまでは何ら造作もなくこの文庫本を誰彼もが容易に手にすることが可能となったのです。我々にとってはそこここにあるのが自然なものとして本がますます身近な存在となったのである。

なお、この一文は「岩波茂雄」の名にて記されているが、実際には当時最もブリリアントな哲学者であると名を馳せた「三木清」が著したものとして知られている。

●三木清について・・・
1945年9月26日、獄中にて三木清死す。終戦後のこの死を悼み全世界へと発信したのはロイター通信によるもので、日本国内発ではなかったことが、いま併せて思い起こされる。

開成ハイスクール 矢倉重人


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