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開成教育グループ


2010 年 11 月 のアーカイブ

「大学受験・定期テスト」再考

2010 年 11 月 29 日 月曜日

 こんにちは。
 今回は、改めて「大学受験」と「定期テスト」の意義について述べてみようかと思います。

~大学受験に向けて~
 私は、大学受験とそれに対する取り組みを、目標達成の一つのプロセスであると位置づけます。それは、自分の将来の目標に照らし合わせて志望校や学部を決定する、といった表面的なことだけではありません。確かにそれも大切なことですが、さらに重要な意味があるのです。
 それは、入試に向けての取り組みの中で、自分の目指す、より大きな目標を達成するための「力」と「手段」を身につける、ということです。
 例えば、能力が同じ2人の人間に差が生じるとすれば、その要因は「時間の使い方」にあると言えます。目標達成には、それに至る具体的な「計画性」が必要であり、その計画を毎日確実にこなしていく「日々の成功」が、大きな成功を引き寄せる力となっていくのです。私は、この日々の実践に焦点を当て、「毎日の成功」「一つ一つの成功」を大切にしています。
 その現実的な取り組みとしては、まず、各生徒と話し合い、志望校合格に向けて、中期目標、短期目標を設定し、それを毎日の課題にまで具体化していきます。また、毎日の課題は、あくまで自分が実際に達成可能な範囲に限定します。過剰な強制はプレッシャーとなり、やる気をそこなう最大の原因となるからです。さらに、その課題を毎日達成しているかを生徒と共に確認し、できなかったことよりもむしろできたことを評価していきます。それは何より「毎日の成功」を実感することに意義があるからです。
 勉強は、するべき課題をあくまで自分の能力の範囲内におき、余裕を持って進めていく。そして、自分ができたことに焦点を当てて、それを喜び、毎日を達成感で満たしていく。このことが、勉強の継続には必要なのです。達成の喜びは、自分の現状を肯定的に評価し、それに自信を持ち、明日の目標に対する意欲を引き出していくのです。

~定期テストに向けて~
 大学受験に向けての、あるいは目標達成のプロセスにおいて最も重要とされるのが「計画性」「時間の使い方」であるならば、高1・2年の段階での高校の「定期テスト」は、きわめて重要な意義を持ち始めます。この1~2年間に、定期テストに向けてどのように時間を使ってきたかが、その後の大学受験に向けての取り組み方を大きく左右するのです。定期テストはその場限りの勉強で何とか乗り切ったとしても、大学受験になるとそういうわけにはいきません。しかし、一度ついてしまった習慣は、なかなか修正することができないものです。
 私は、定期テストも大学入試も、期日と範囲が決められているという点では同じ性質のものであると考え、1年間の本格的な入試対策の前に、1・2年生の段階ではまず定期テストに向けての1カ月ごとの計画性を徹底し、その習慣づけを浸透させていくことに取り組んでいます。1カ月という限られた時間をどれだけ効果的に「活用」できるか、その計画的な時間の使い方を、毎回の定期テストを通して少しずつ身につけていく。定期テストはそのようなものであると位置づけているのです。そうすることによって、毎回の授業で行う定期テスト対策においては、その扱う内容の重要性と同時に、目標達成プロセスにおける時間の有効活用という、もっと本質的な受験準備を行っているのです。
 同じく定期テストを受けるならば、そのなかで毎回何かを獲得した方が有意義です。それは、始めのうちは、少しずつ準備を進めていくことの困難さに気付くことでもいいでしょう。そのことは、一つの経験として、次回に必ず生かされていくものです。こうして改善を重ねていくことが、定期テストの本来の意味だと思うのです。

やればできる…?

2010 年 11 月 22 日 月曜日

 こんにちは。
 「やればできる。」私は、この言葉をあまり使いません。確かに「やればできる」のは真実なのでしょうが、「やっていない」生徒にとって「やる」ことはそう簡単なことではありません。というよりも、勉強することの大きな壁の一つが、根気よく「やる」ことの難しさだと思います。「地道に続ければ分かるようになって、成績も伸びる。志望校にも合格できる。」誰でも頭では理解していることだと思います。しかし、それを実行することは案外難しいことです。そして、確実に成績を伸ばすために本当に必要なのは、「継続してやること」なのです。
 私が指導している生徒たちは、ほぼ全員が「やる」ことができ、その中で、定期テストで着実に成績を上げている生徒も数多くいます。しかし、ごく少数ですが「やらなかった(やることができなかった)」生徒もいます。もちろんこの生徒も、望んでそうなったわけではありません。挽回は、まだまだ充分に可能です。そのためには…

①無理な計画は立てず、実現可能なものに
 「さあ、がんばって勉強するゾ」と意気込みすぎて、完璧すぎる計画を立ててしまうことがあります。しかし、無茶な計画を立てると「やっぱり明日から…」となってしまい、結局、計画は実行されずに終わってしまいます。これでは意味がありません。
 最初は高望みをせず、「必ず実行できる計画」を立てるのが良いと思います。例えば、今までの自宅での勉強時間がゼロに近いならば、最初の一週間は「集中して毎日30分以上」でもいいと思います(これなら実行できるかもしれませんね)。「たった30分では…」と思われるかもしれませんが、ここで大切なのは、時間よりも「毎日集中して勉強する習慣を身に付ける」ことです。30分の勉強が実行できたら、次の週は「集中して毎日40分」の計画です。先週30分ができたのですから、10分増やすのは無理ではないでしょう。おそらく、3週間経過した頃には、毎日1時間ずつ、いや、それ以上の勉強時間を確保することができる状態になっているかもしれません。とにかく、まずは実行可能なところから始め、それを継続することに焦点をあててください。

②信じる者は救われる
 この言葉は、勉強に関しては真実だと思います。私たちは(他の塾・予備校などもおそらく)「こうすれば成績アップできる、こうすれば合格できる」というノウハウを提供しているのですから、その指導に従って、結果が出ないわけがありません。
 先生たちは、年間の勉強の全体像を頭において(つまり、ペースを考えて)指導しているわけですから、「今週この内容を理解(暗記)しておけ」と言ったならば、それはつまり「今やっておかないと後で困るよ」ということを意味するのです。それを聞き流していると、当然「授業についていけない。やるべきことが多すぎて、手が出せない」状況になってしまいます。私の経験からすると、「やらなかった」生徒は、「明日でもできるわ」→「後でまとめてやるわ」で、結局手が出せなくなってしまうことが多いようです。
 信頼するに足りる塾・先生にめぐり合えたなら、その先生が言われたことは実行しましょう。もちろん、鵜呑みにしろと言っているのではなく、納得できないことがあれば、説明してもらってから実行しましょう。信頼に足る先生ならきちんと根拠を説明してくれるはずです。
 「やる」ことは難しいのですが、それは「やらない」から、とも言えます。一度「やって」みてください。そうすれば、「やる」ことが、実は思っていたより難しいことではなく、苦痛でもなんでもないことに気付くかもしれません。そして、その先には「大幅成績アップ」が待っています。

イタリア

2010 年 11 月 15 日 月曜日

 先日イタリアに8日間行ってきました。フィレンチェやローマで芸術にふれる旅となりました。下の写真はチビタ・ディ・バニョレッジョです。
 天空の城ラピュタのモデルとなったとも言われています。
エトルリア人たちが外敵と湿気から逃れるために断崖絶壁に街を作ったそうです。

 写真中央の道を上がっていくと町があります。昔は600名ほどが住んでいたそうです。ほんとに超不便なところですが、町並みが可愛く素敵な町でした。

 ローマは、町全体が遺跡のようでした。建物はイチイチ可愛いです。
 下の写真は、警官と町並みです。

 有名なコロッセオの中での写真です。2000年前の建造物で6万人収容だそうです。現在の甲子園が5万5千人なので、それよりも大きいです。ちなみに2000年前の日本は弥生時代だそうです。

 ローマ、バチカン市国では芸術的な建築物と美術品を見ることができました。
写真はバチカン市国です。あんまりカメラの性能が良くないので上手く写真は取れていません。しかし天気は、晴天で気持ちのよい青空で写真を取ることができました。

 私が今回の旅で一番凄いと感じたのが、システィナ礼拝堂とそこにある「最後の審判」です。(最後の晩餐ではないですよ)
システィナ礼拝堂は、体育館と同じくらいの大きさの建物です。その天井一面にはフレスコ画、側面にも絵、そして正面には「最後の審判」が描かれています。
 私は受験のときに世界史受験だったので、「最後の審判」の名前くらいは知っていましたが、実物は想像をはるかに超える迫力とスケールでした。私の文才では、表現できないです。生の迫力がありました。

 フィレンチェ・ローマで、たくさんの芸術作品を見ましたが、それらを見ながら感じたのは、「無から有」を生み出す凄さでした。いわゆる天才たちには、なぜこんな凄いものが作れるのだろうと思いながら作品や建造物を見ていました。

 しかし「天才」たちも、先人の知恵を勉強し、師匠の技を盗み、努力をして新しいものを創造していったはずです。
 特に、さきほどあげた「最後の審判」を書いたミケランジェロも多くの苦難を乗り越えて作品を完成させたようです。たとえば「最後の審判」やシスティナ礼拝堂の天井画を描くのに6年間、正面の最後の審判を描くために5年間かかったそうです。天井画は天井に直接描くため、非常に肉体的にシンドイらしいです。体育館の天井一面に絵を描くのは、想像しただけで腰と肩が痛くなりそうです。。
 少し話がそれましたが、何か新しいことをするためには、努力と根性が必要であり、学び続けることが大切だと感じました。

 みなさんは大学受験に向けて学んでいる最中ですが、是非、時間のある今に思いっきり学んでください。もちろん私も学び続けます。勉強していたら、「今やっているこの勉強はどんな意味があるのだろう」と感じることも多いかもしれません。しかし、学び続けてください。一見意味がないことでも後で、有機的に結びつき、みんなの役に立つはずです。
 
 以上、天才たちの作品にふれた前田佳邦でした。
 
 

開成ハイスクール 数学科 前田佳邦

風邪

2010 年 11 月 8 日 月曜日

 みなさん、こんにちは。いよいよ11月に入り、寒くなってきました。みなさん、体調管理の方は大丈夫でしょうか?私は少し風邪をひいてしまいました。みなさんは、風邪など体調不良にならないように気をつけてください。
 さて、風邪といえば、毎年流行る病気です。この時期はインフルエンザも話題になってきます(風邪とインフルエンザは別物なので注意してください。)。こんなに科学技術が発達しても、なかなか風邪を撲滅することはできません。なぜでしょうか?それは病原菌の種類の多さと、変異の多様さといわれています。さまざまな種類の細菌、ウイルスが、なんとか人間に感染しようと自分自身を変異させているせいです。そして、この変異がランダムに起こるせいで、予測できないためです。これに対抗するためにはどうすればいいでしょう。ワクチンを打てばいいとか、薬を飲めばいいなど、安易に対応しないで、きっちりとした生活習慣を維持して、常に免疫力を高めておくことが大事です。かくいう私も、ちょっと夜更かしをしたのが祟って、風邪をひいてしまいました。油断は禁物、慢心せず、自分自身の管理をしっかりしていきたいものです。
 ところで、上で、ウイルスの変異がランダムだという話を紹介しました。皆さんの中には、ランダムだと、予測不可能で無茶苦茶、人間の手で制御できない、どうしようもない状態だというイメージを持っている人もいるのではないでしょうか?ところが、そういった領域にも知性を働かせて、秩序をみつけた人がいます。先月亡くなりましたが、経済学者で、数学者でもあるマンデルブロさんが代表的な人です。フラクタルという分野を切り開き、海岸線などの一見不規則で、今まで良く知られていた長方形、円などでは記述しようがないものを捕らえる方法を見つけました。今では、フラクタルの分野は、株価の変動や、生物の内臓の内壁など、非常に広い分野で見られる一般的な構造であることがわかっています。フラクタルなどの分野は、高校で習う分野を遥かに超えてしまいますが、秋から冬にかけての長い夜を利用して、何か一つ、高校の範囲を超えた勉強をして背伸びをしてみませんか?簡単な本を読むのでもいいです。いろいろなことを知らずに生きるよりも、知って生きる人生を歩んでください。そういった知識の蓄積がいずれ役に立つ時が来ます。(ただし、風邪には気をつけてくださいね。)

数学科 村上 豊

「後悔,後を絶たず」では困りますが…

2010 年 11 月 1 日 月曜日

「後悔,先に立たず」は古人の言であり,「後悔、後を絶たず」は大学に 8 年通った友人の迷言でありますが,今,雑誌「プレジデント Family」では「わが子の受験,親の後悔トップ40」という特集がなされています.この特集は,「中高生の親1000人が証言」とあるように,高校生自身あるいは高校を卒業した人たちの「後悔」は登場しませんが,視点を変えた「後悔」も中々興味深いものではないかと思います.

さて,というわけで,私の受験時代についての後悔です.一番大きいのは「こんなものはできっこない」と自分を縛ってしまうことでした.今でも、「覚えるのは苦手です」などと言って,英単語の暗記をしない言い訳にしている人いませんか?私もそんなことを言っていたんですね.これはただのやらないための言い訳です.そうやって私も英単語の暗記を怠っていました.入試のとき,3 行ほどの和訳問題の英文の中に10数個の知らない単語を目にしたとき,後悔しました.そして,大学生になり数多くの英文を読む(読まされる)うちに,さらに教えるようになっていくつものテストを作っているうちに,いやでも覚えてしまいました.結局,覚えられないのは覚えようとしないから,覚えるまで徹底的にやらないから,です.どっぷりつかればいやでも覚えます.他にも,色々なところで「できっこない」ことができるようになる経験をしました.自分を縛っていくとその枠を抜け出ることができない.受験生時代はかなりそうだったと思います.

もうひとつの後悔は,「苦手科目を放っておいた」ことです.私は,文系学部志望のくせに英語は苦手,さらにどうしようもなくダメなのは古文でした.理由は今では明確です.押さえておくべき基本的な知識が全くない,あるいは,単に「知っている」だけでそれを使いこなせるレベルにはないからです.範囲がある定期テストならなんとでもなりますが,実力は皆無でした.先日,中学生の古文の授業をしましたが,その準備をしていく上で改めて感じたのは,「これは聞いたことがある」とか「これは知ってる」程度では,やはり通用しないのだということでした.それを一段上から見下ろして眺められるくらいでなければ,入試なんて無理です.結局,古文はずっとほったらかしでした.幸い,当時はどこの入試も古文をそれほど重視していなかったので,大学にはもぐりこめましたが,これは単に運がよかっただけだったと,今も思います.

「人は成功より失敗から学ぶ」というのも古人の言ですが,やはり人は失敗から学ぶ方が多いようです.それにこだわりすぎるのは問題ですが,たまには反省する必要もあるでしょう.「Kaisei Family」あたりでやりませんか.「私の受験,ここがよくなかった」なんて.

片岡尚樹