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開成教育グループ


2011 年 2 月 7 日 のアーカイブ

ダニューブ・エクスプレス(その2)

2011 年 2 月 7 日 月曜日

 「シトー、エータ?」(これは何だ?)
 「エータ、……エーと、エーと」(これは……エーと、エーと)
ルーマニアとの国境の駅ウンゲニーで、ソ連からの出国審査が始まりました。そのとき、審査官と何回これを繰り返したでしょう。ふつうは入国審査の方が厳しく、出国審査は甘いものです。ハバロフスクでの入国は日本人が多いこともあって、ロシア人の入国審査官が日本語で棒読みする「それんのおかね(ソ連のお金)」という質問に対して日本語で「持ってません」と言うだけで済みました(他にも何項目か聞かれたのですがぜんぶ「ありません」「持ってません」と答えたことしか覚えていません)。荷物を検査されることもありませんでした。しかし、出国審査は長時間に及びました。
ウンゲニーに到着して小一時間ほど経ち、車両の切り離しの音も聞こえなくなった頃、彼がやってきました。長身で鋭い目線の男でした。David Bowieに似ているな、というのが当時の印象でした。まずはパスポートとビザ(査証)の確認から始まりました。ソ連のビザは3枚綴りになっていて、入国時に1枚切り取られ、出国時に残りの2枚が回収されます(つまりパスポートには何の痕跡も残らなくなります)。これは問題なく済みました。そして、荷物の検査が始まりました。最初は同じコンパートメントにいたイラク人留学生からでした。彼らはロシア語堪能であり、審査官と軽口をたたきながら検査を受けました。彼らの荷物はバッグ一つ、しかもその中は食料だけでした。当然すぐ終わります。次は私の番です。一応日本で買ってきた「ロシア語会話手帳」などというものと、ソ連に言ってから見つけた「露和会話集」を持ちながら、始めます。
トランクをひっくり返し、すべてを調べ始めました。彼のチェックポイントは中身そのものもそうですが、トランクの中に隠しポケットなどがないか、つまり何かを隠し持っていないかということに集中していました。持っていた本やソ連の空港においてあるのをいいことに持ち帰ったいろんな言語で書かれた小冊子(ソ連を宣伝するものだろうと思います。何せ読めないからわかりません。これは帰国後にお土産として便利でした)は、すべて一冊一冊見ていました。何かが本のどこかにはさんでいないか。それに集中していました。しおりがはさまっていたり、メモがはさまっていたりすると、それを入念にチェックしていました。そして、彼が何だか分からないものを見つけるたびに、冒頭の質疑応答となったわけです。ロシア語をほとんど知らずに行った私でも「シトー・エータ」は分かります。「エータ……」と答えればいいのも知っています。でもその後は言えません。何せ数ですら5までしか数えられないのですから。会話手帳にも露和会話集にもそんな単語は載っていません。そういうときにはすべてイラク人留学生たちが通訳してくれました(本当に感謝です)。ただ、審査官はどうもいろいろと疑念を抱いていたようです。
最後にボディーチェックが始まりました。探知機で調べていましたが、どうやらこれは手動で警報音を鳴らせるものらしく(意味ないやん)関係ないところでもわざとらしく鳴らしていました。ポケットの中のものを出させ、また一つ一つ調べ始めました。彼は定期入れを見つけ、中身を入念に調べ始めました。テレフォンカード(懐かしいものです。今でもありますが)がありました。彼はこう聞いたようです。
「このカードの穴は何であいているのか?」
こんな訳わからんこと聞くな、よう答えんやろと思いつつ、この質問には身ぶり手ぶりで何とか答えました。ただし、当時テレフォンカードのなかったロシア人にとってはかなり不可解なものであったようです。何せ、怪しげな自動販売機しかない国でしたから(余談ですが、先述の「ロシア語会話手帳」によると、「ソ連、特に中央アジアは乾燥した気候の国なので、街の至る所に飲料水を売る自動販売機がある」そうです。確かに自動販売機はありました。一カ所に5台くらいあったところもあります。しかし、1)まず動くかどうかわからない。誰かが使っているのを見たことがない。2)自動販売機からはジュースが出てくるだけで、備え付けの埃を被った共同のグラスでそれを受けて飲まなければならない。3)たとえジュースが出てきても、飽和砂糖水のように砂糖がジャリジャリいうほどの驚異的に甘いものなので喉の渇きを癒すどころではない可能性が高い、ということで使いませんでした)。
 次に出てきたものは某CDレンタル店のメンバーズカードでした。これがまたけったいなデザインのカードでした。審査官は私に直接聞かずにイラク人の留学生にこう言ったようです。
「これは何かの政治結社のメンバーズカードではないのか。この男はスパイではないのか?」
留学生が私に「お前が政治結社のメンバーではないかと聞いてるぞ」
と伝えてきました。もちろんかぶりを振りました。一瞬、極寒のシベリアが頭をよぎりました。シベリアに送られるのはごめんです(たぶんそんなことはないでしょうが)。これは面倒なことになりそうだと思ったのですが、何と、この審査官、もう仕事が長引いて面倒くさくなった(私の審査だけで1時間以上経っていました)のか、どう見てもスパイには見えないと思ったのか(本当は一番怪しいですがね)、どうせ出国するのだからどうでもいいやと思ったのか、私が否定したら、あっさりと引き下がったのでした。留学生たちにはいろいろと聞いていたようですが(ロシア語なのでわからない)、まあ大丈夫だろうという結論に達したようです。
 最後に外貨のチェックが始まりました。ソ連では入国時にいくらの外貨を持っているかを申請します。その申請用紙を出国時に提示し、それを上回る外貨を持っていると全額没収されるという規定がありました。これが最も緊張するものだったのですが、これはあっという間に終わりました。もう、審査官も疲れていたのでしょう。ソ連国外への持ち出しが禁止されているはずのルーブル紙幣も「いいやろ」ということで手元に残りました。これでやっと審査が終了です。
既にウンゲニー到着から3時間以上が経っていました。ウンゲニーの停車時間は2時間。トータルで3時間半ほど遅れて、ようやくソ連を出国できます。
(まだ続きます)

片岡尚樹