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開成教育グループ


2012 年 11 月 5 日 のアーカイブ

高3生を担当する者の楽しみ

2012 年 11 月 5 日 月曜日

高3になると、単元別に出題されるセンター試験対策の授業は別として、数学の授業も単元別の指導ではなく、入試問題を想定した演習形式の授業になります。その中では、ある程度の枠組こそはありますが、ランダムに与えられた問題を、どの単元の問題として扱えるか自分で考え、どの解法を選択するかを考えていくことが必要になります。これに慣れてくると、一つの問題に対してもいろいろな発想をすることが可能になっていき、一見何をしてよいかわからないような問題に対しても、何をしてよいかわからないから白紙、ではなく、何かを試してみるということができるようになってきます。もちろん、そのように試してみても必ず正解にたどり着ける答案は少ないのですが、数学的に矛盾していることさえしなければ、計算量の多寡はある(ほとんどの場合ここに挫折の原因があります)にせよ、正解には到達できるものです。
ということで、高3のクラスを担当するときには、毎年楽しみにしていることがあります。それは、私が考えもしていなかった解法です。私もできるだけ多くの発想を想定しているつもりなのですが、所詮一人の人間がすることに過ぎません。それをすり抜けてくる答案が出てきます。これがそんなにたくさん(これだと私の能力に問題があります)というわけではありませんが、年に数回はやってきます。
今年も当然そういう答案がやってきます。とくに、今年出会った答案の一つは、私も事前に試しつつもこれではちょっと無理かと思っていたアプローチ方法によるものだっただけに、私は素直に負けを認めざるを得ませんでした。こういう解答に出会うのが、やはり最大の楽しみなのです。
いろいろな答案に出会いますが、それに対して心掛けていることがあります。その一つは、想定外の解法を見事にやり遂げた答案に対しては潔く負けを認めることです。私は高校時代、逆の経験をしています。ただし、それは数学の授業ではなく、現代文の授業のことでした。与えられた文章を50字で要約するという課題に対して、生徒が順々に解答を発表していく中、私も指名されました。答を読み上げると、先生は何も言いません。直しようのないひどい答えなのかなと思っていると、しばらくして「もう一回読んでください。」もう一回読むと、再び沈黙が続いたのちにおもむろに「それを模範解答にします。」と言われました。その後、先生は潔く「自分の用意していた解答より、いい解答だった。」と言われ、さらにこんな風にもできると、別の答えを紹介しつつ「う~ん、負け惜しみですね~、勝てませんね~。」と楽しそうに言われていました(めったに誉められることがないだけに呆れるほどよく覚えています)。私もこの姿勢を見習わなければと思っています。教師だって完璧ではありません。負けて当たり前です。というか、早く負かしてもらわないと困るのです。私を超えなければいけないのです。高校時代の教師なんて、さっさと超えるべき存在にすぎません(こう書きつつも自分としては悲しいですが)。
もう一つ心がけていることは、どんな解答でも、頭からは否定しないことです。間違ってはいなくても苦労が多すぎる解答に対しては、打開策を示す。トンチンカンな解法でも、間違っているところが何か指摘する。できるだけのことはしようと心がけています(いや、頭ごなしに否定されたことがある、という人がいたらごめんなさい。さっきから言っている通り、教師は完璧では全然ありません)。プライドが許さないのか、「自分の教えた解き方ではない」だけの理由で減点したりする人もいると聞きます。これだけはしないでおこうと心がけているつもりです。
そのかわり、答案作成についても心掛けてほしいこともあります。それは最低限の読みやすい字でできる限りの説明をしてほしいことです。入試においてもそのことによって思いがけない発想が見逃されかけたことがあります(詳細につきましては岩波新書の「学力が危ない」の上野健爾先生の書かれている部分を参照してください)。

開成ハイスクール 片岡尚樹