大阪・滋賀・京都・兵庫・奈良・徳島・東京・神奈川・埼玉・千葉に展開する小学生・中学生・高校生 クラス指導、個別指導の進学塾・学習塾

開成教育グループ


投稿者のアーカイブ

受験は団体戦

2013 年 2 月 25 日 月曜日

まだまだ寒い日が続きますが、もうすぐ新しい出会いの季節がやってきます。現高3生の皆が4月に志望大学の門をくぐれることを願うばかりです。
この時期になると、自習室で勉強する新高3生(現高2生)の数が増え始めます。大学受験まで1年を切り、本格的に受験勉強に取り組み始めるのです。「受験は団体戦」という言葉をよく耳にしますが、私が高校生の頃はこの言葉の本質をよく理解していなかったように思われます。テストや入試では、自分1人の力で問題を解かなければなりません。勉強するときも周囲に友達がいれば、おしゃべりして気が散ってしまうと考え、1人で自習するようにしていました。
しかし、生徒たちの様子を見ていると、「受験は団体戦」という言葉が間違っているとは思えないのです。A君という生徒が自習していると知ったB君が自習室に通うようになったり、数学が苦手なCさんに数学が得意なDさんが教えていたり、仲間同士でいい刺激を受けているようです。
「チームが一丸となって一つの目標に向かうとき、チームメイト全員が自分の能力を超えたとてつもない力を発揮することがある。」これは「フロー理論」と呼ばれているものです。
競争するのではなく、協奏する。敵ではなく、仲間をつくる。これが受験勉強だけでなく、これから学校を卒業した後の社会生活においても必要となる基本姿勢なのかもしれません。

開成ハイスクール英語科 津留天然

新指導要領と数学(その3)

2013 年 2 月 18 日 月曜日

 今回も前回(11月26日掲載分)に続いて、またまた新指導要領の話をしましょう。
 今回の指導要領の改訂で、「作図」が高校数学に入ってきました。まず、作図の問題とはどんな問題だったかを復習しましょう。「作図」とは、(目盛のついていない)定規とコンパスを使って色々な図形を描いていく問題でした。たとえば、与えられた角の二等分線の引き方は下の図のようになっています。

手順を言葉で書くと、(色で、図の中の手続きと、文章を対応させてますので、確認してください)
1)コンパスで円弧を描く
2)直線との交点を打つ
3)交点を中心に円弧を2つ描く
4)出来た交点を打つ
5)角の先端と交点を直線で結んで出来上がり
となります。

 ところで、高校での作図(数学Aの範囲です)は、問題はもっと難しくなりますが、定規とコンパスのみという制限は何も変わりません。そこで、作図のことをあれこれ書くのではなく、定規とコンパスのみという制限を、数学の他の分野で習うこととの関連で書いてみます。
 さて、作図における定規とは何をする道具でしょう。それは、直線を描く道具です。ところで直線は、中学の数学で、例えば、

という式で表すことができると習ったと思います。一方、コンパスは何をする道具でしょう。それは、円を描く道具です。円は高校の数Ⅱで、例えば、

と表すことができることを習います。だから何?と思う人もいるかもしれませんが、これで、定規とコンパスでできることを数式で表現できたのだ、ということを意識してみてください。数学はこのように現実の問題を数式で表現しているのだ、というように捉えることができます。でも、注意深く考えると、まだひとつだけ作図でできることで、数式で表現できてないことがあります。それは「交点を打つ」ということです。このことはどのように表現すればいいのでしょう。実はそれは、「上の2つの方程式を連立させて解く」、ということで表されているのです!では、「交点を打つ」ために連立方程式を解いてみましょう。直線の式を、円の式に代入してみると、

となって、なんと二次方程式を解くことになります!皆さんは何気なく交点を打っていたと思いますが、実は背後で二次方程式を解いていたのです。(後は方程式を解いて自分で交点を求めてくださいね。)
 さて、作図の問題から始まり、二次方程式を解けばよい、ということまで話しました。数学は、実はこのようにいろいろな分野が絡み合っています。また、現実の問題とも密接にリンクしています。だからこそ、机上の勉強で終わらせるではなく、いろいろな経験と、学んでいることを結び付けることができるようになってください。もちろん、数学だけでなく、他の教科も忘れずに。
 
 
開成ハイスクール数学科 村上 豊

数学の答案を書く意味

2013 年 2 月 12 日 火曜日

 今回は、答案の書き方についてお話しします。
 よく生徒から、答案を書く際に「この前置きは書いた方がいいですか?」「途中の計算の式は要りますか?」といった質問があり、中には「数学に日本語は必要ないでしょう」という意見が述べられることもあります。「大学の先生が答案を読むのだから、多少内容が物足りなくても分かってくれるだろう」という気持ちがその根底にあるようです。
 確かに計算問題では、日本語を含んで答案を書くというのは難しいかもしれませんが、ほとんどの問題においては、日本語と数式を使って、筋道を立てて文章を書く必要があります。
 実際、入試で答案を書くときに、答えだけ(途中の式などは抜きにして)書いてしまうと、配点の1割ぐらいの点数しか与えられません。それは、論理的に考えて出した答えなのか、勘で出した答えなのかが判別できないからです。反対に、最後まで答えを導き出すことができなくても、考え方が正しければ、6~7割の点数がもらえます。
 解答用紙は、自分の考え方が正しいということをアピールする場であるという意識を持って下さい。そのためには、より正確に採点官に内容を伝える必要があります。理路整然と文章を組み立て、すべて分かるように説明しなければならないのです。
 2月といえばバレンタインデー。チョコをあげるのも答案を書くのも「相手に自分の気持ちを目いっぱい伝えること」が大切ですね。
 
 
開成ハイスクール数学科 鈴木悠太

変化と充実感

2013 年 2 月 4 日 月曜日

 新年を迎えてから一か月が過ぎ、早くも2月となりました。年末の慌ただしさや新年の様々なイベントで、少し普段とは異なる毎日を過ごしていたはずが、今となっては、もうひと月前のことです。時間というものは本当にあっという間に過ぎ去ってしまいますね。しかし、そのように過ぎていく日々ではなく、心に残る充実した日々を過ごしたいのは誰もが皆同じでしょう。では、どうすれば良いのでしょう?何に充実を感じるかは人それぞれですし、完璧な答えなどあるはずもありませんが、考えてみましょう。

 充実と変化には大きな関連性があるでしょう。例えば勉強の場合、新たな目標を立てて、努力する。その変化の過程に満足する人もいれば、努力して得られた結果に大きな喜びを感じる人もいるでしょう。さらにはより大きな目標を掲げて頑張れるかもしれません。また友人との関係であれば、自分のことは後回しにし、相手のことを第一に考えてみる。すると今までより相手に対して優しくなれたり、友人の意外な一面を発見できるかもしれません。生活面ではいつもより15分だけ早く起きてみる。ゆっくり朝食を食べることができるし、テレビや新聞で良い情報を得られるかもしれません。
 「新たな目標を立てる」「他人を気遣う」「早起きする」といった変化に伴い、新しい結果が得られます。その結果の一つ一つが、充実感を与えてくれるわけです。そして、さらなる変化へとつながっていくことも考えれば、少しの変化が多大な充実感をもたらしてくれるでしょう。ということは、自分を変化させることとうまく付き合うことができれば、無駄な時間なんてものは存在しないのかもしれません。

 みなさんも、どうすれば一日一日をより充実したものにできるかを考えていただけたらと思います。そして変化することを楽しんでください。その一瞬一瞬に育つ充実感は、あなたを幸せにしてくれるでしょう。

開成ハイスクール 数学科 光畑雄策

国公立二次次試験に向けて

2013 年 1 月 28 日 月曜日

 この文章がブログに載るころには、センター試験も終了し、自己採点の結果が確定、さらには二次試験の出願先を決定していくといった時期になっているか、あるいは出願先も決定し、二次試験へ向けての勉強を本格化しているかもしれません。
 私もこれから実施される二次試験対策授業に向けて、過去の大学入試問題から何を演習するか、その問題の選定作業に入っています。
 年度ごと、1つの大学に限定せずに、また国公立・私立大学に限らず、あるいは地域も限定せずに複数の大学の入試問題を見ていると、「かぶり」と「カバー」がかなりあることに気がつきます。この「かぶり」とは、同一の年度に全く同じ問題、あるいは同じ素材をもとにつくられている問題が複数の大学で出題されることで、「カバー」は、ある大学で出題された問題が次の年度、あるいは数年後に別の大学で出題されることを指します。
 「かぶり」の例では、同志社大学の文系学部で出題された数学の入試問題が、同じ年の京都大学の前期で出題されたことがあります(これは差し替えを行わずそのまま実施されました)。同じく数学では、京都大学の前期と大阪市立大学の後期に全く同じ問題が出題されたこともあります(このときはさすがに、大阪市立大学はこの問題を削除し、試験時間を30分短縮して実施しました)。昨年度もどこかの国公立大学の前期日程と問題が重複したとのことで、神戸大学後期の英語で1問英文の差し替えが行われています。統合前の大阪大学と大阪外国語大学でも自由英作のテーマがほぼ同じということもありました。英語の読解問題の「かぶり」は、国公立大学に限ったとしても枚挙にいとまがないほどです。現代文でも、かつて京都大学と神戸大学で同様の出典からの出題がありました。関西では昔からこの「カブリ」が多く見られるため、「入試問題作成委員会」なる地下組織が存在し、そこから問題を配信しているのではないか、などという人もいました(最近は予備校が問題をつくる業務まで代行していたりするので、地下組織どころではなく現実の話になりつつありますが)。あくまで憶測ですが、大学入試問題を作成する大学の教官同士が関西の方がやや世界が狭いため、その中で話題になることが共通していたりして、そのために類似した問題が作成されるのかもしれません。とはいえ、同じ年度、国公立大学に至っては、同一日に実施されるのが入学試験です。こんなことを知っていても全く受験対策にはなりません。
 やはり注目しておかなければならないのは「カバー」です。ある年度の京都大学の数学の入試問題が翌年には九州大学で少しアレンジされて出題されています。それだけでなく、京都大学の問題は他の大学でアレンジされて出題されることが少なくなく、ちょっと古い例ですが、ある問題はアレンジされて京都教育大学、九州芸術工科大学(今は九州大学)で出題されています。そういう京都大学も東京大学と似た問題が出題されたことがあります。英語では、かつて立命館、甲南、新潟の各大学で同じ英文が出題されていたりもします。当然、自分が受験する大学の過去問を研究しておくことは、各大学の傾向を知るうえで重要かつ必須の作業ですが、それに加えて、とくに数学では、他大学の入試問題でも自分が受験する大学とよく似た傾向があるものについてはある程度研究しておいてほしいです。運が良ければ、同じ問題に当日出会えるかもしれません。少なくとも、最近の入試問題の世界における「流行り」は掴めるでしょう。
 センター試験で思ったような点を取れた人もいるでしょうし、かつての私と同様にセンター試験 (もっとも、私の場合はまだ「センター試験」ではなく「共通一次試験」というものではありましたが) の成績が芳しくなかった人もいるかもしれませんが、現役生の場合、もっとも実力が伸びるのはこれからの期間です。たとえ、センター試験がよくてもここから安心して崩れていく人もいますし、ボーダーに足りなくてもここから奮起して逆転をする人も多くいます(というより、合格する人の多くはこのパターンであるかのように思います)。最後まであきらめずに学んでください。健闘を祈ります。

開成ハイスクール 片岡尚樹

人生のターニングポイント episode 2 AくんとBくんの場合

2013 年 1 月 21 日 月曜日

 みなさんこんにちは。
 前回は、私の人生の転換点について話しましたが、今回は、私の教え子の話をしたいと思います。

 Aくんは、私が高1から担当していた、トップ高に在籍する生徒でしたが、彼には唯一欠点があり、それはひたむきな努力がすこぶる苦手だったことです。得意科目の数学は、常に学年の上位10位以内に入っているにも関わらず、暗記が必要な英語や世界史、古典の成績は伸び悩んでいました。

 2年生の進路面談の際、彼が志望校を神戸大にしたいと言ったとき、私は正直、「ポテンシャルは十分にあるけれど、今のままでは到底神戸大には届かないな」と思いました。そしてそのことを、私は包み隠さずそのまま彼に述べました。これはある種の「賭け」でした。Aくんのプライドを傷つけ、今までの信頼関係も崩れてしまう恐れがあったからです。しかし、彼は真剣な表情で、「本気でやってみます」と言ってくれました。

 それからAくんの快進撃が始まりました。苦手科目の古文文法と古文単語、そして今までサボっていた英文法の総復習を、決して楽ではないペースでこなすよう彼に指示しましたが、彼は文句ひとつ言わず、1日たりともサボらずにやり遂げてくれました。指示した以上にやってきたこともあります。まさに、あの日からAくんは変わったように思います。そして見事、目標であった神戸大に、余裕の合格を果たしました。

 もう一人、Bくんの話をしたいと思います。
 Bくんとの出会いは、彼が中3のときでした。初めてBくんを担当したときの印象は、あまり良くはありませんでした。いつも宿題をして来ず、テキストすら持ってこないという状態だったからです。入試が近づくにつれ、態度は多少改まってきたのですが、内申点がよくなかったため、志望を下げて受験し、進学しました。

 中学生のときの状況を知っていた私は、高校生になってからの彼の授業態度を心配していました。ところが、開成ハイスクールで実施される「高1準備授業」に参加した彼は、私の知る彼の姿ではありませんでした。熱心に授業を聞き、宿題も確実にこなすようになっていました。わからないところを積極的に質問してくるまでに、彼は変わっていたのです。

 最初の中間テストで彼はいきなり学年6位となり、2学期中間テストが終わった現在も、トップ10位以内をキープし続けています。そしてBくんは今、大阪市立大を目指して、私の与える授業外の課題に、前向きに取り組んでいます。

 開成に通ってくれて、大きく変わっていく生徒たちを見ると、「本当に尊い仕事をさせてもらっているな。どれだけしんどいことがあっても、やっていてよかったな。」と、この仕事にやりがいを感じずにはいられません。

 どんな人間も、きっかけさえあれば変わることができます。「自分はダメな人間なんだ」などと、自信を失いそうになったときは、思っていることを何でも私たちに打ち明けて下さい。そんな会話のなかに、みなさんの人生のターニングポイントとなるようなきっかけが隠されているかもしれません。
 
 
開成ハイスクール英語科

気分転換

2013 年 1 月 15 日 火曜日

 人間の行動は気分によって変化する。

 これはどこかの偉い博士の言葉でもなんでもありません。ごく当たり前のことだと私は思います。毎日の暮らしの中で色々な外的要素を受けて人間の気分は変化していきます。ですから気分をコントロールすることは実はとても大変なことなのです。性格にもよるかもしれませんが、気分が悪いと物事を悪いように受け取りやすくなり、悪い考えを抱くようになります。したがって、気分が悪いと感じたときには、気分転換をすれば今よりも気分よく過ごせるようになるということでしょう。毎日勉強に追われて煮詰まってくると、どうしてもストレスがたまり気分が悪くなってしまいがちです。そこで今回は、気分転換の方法を紹介してみたいと思います。

 身体を動かすこと。走ったり、歩いたり、泳いだり、体操をしたりすることはいい気分転換になると言われています。特に気の合う友人と一緒にスポーツを楽しめば嫌なことも忘れられるでしょう。なんとなく気分がすぐれない程度であれば、肩をまわしてみる程度でも効果があるかもしれません。何より身体を動かすことは健康にとってもプラスですから、ぜひやってみるべきでしょう。
 声を出すこと。おしゃべりをしたり、歌ったり、いつもより大きな声を出してみることも効果があるように思います。迷惑にならない場所を確保することが大変かもしれませんが、ストレスの発散になることでしょう。
 心を動かすこと。一見難しそうですが、人間の五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)を働かせるようなことを考えてみればいいでしょう。例をあげると、美しいものを見る、心地よい音楽を聴く、いい香りを嗅ぐ、おいしいものを食べる、ペットとふれあうなどがこれにあたります。
 遊ぶこと。遊びに夢中になれれば嫌なことも忘れてしましますよね。どうせ遊ぶのなら徹底的に遊んでみるといいと思います。
 休むこと。思い切って休むのも有効な手段です。身体の疲労だけでなく、心の疲労も緩和してやることが大切です。思いっきり眠るのもいいと思います。

 どれが自分にとって有効な手段かは、やってみないとわかりませんが、複数の気分転換法を持っておくと、辛い時でも少しは安心できますよね。

 2013年がやってきました。色々な決意を胸に抱きつつ、時には心に余裕を持つことも大切です。
 
 
開成ハイスクール英語科 濱田健太郎

私の大学受験(その6)

2013 年 1 月 7 日 月曜日

(2012年12月25日「私の大学受験(その5)」からの続きです。)

こんにちは。

とにかく孤独でした。明けても暮れても勉強のことしか頭になく、歩いているときも英単語の確認、学校の休み時間も数学の問題演習、風呂の中では世界史の教科書暗記。外界との接触を自ら断ち、家族との会話も途絶え、友人と談笑することも全くない毎日。勉強に埋没し、自分の中に引きこもり、憔悴したその顔は、笑うことを忘れてしまったかのようでした。それを孤高の美学にすり替え、自らを正当化しようとするも、寂しさは抑え難く募るばかり。鬱々とした気持ちは、日に日に私の気力をむしばんでいきました。
そんなとき、ふと思い出した言葉があります。「ソクラテスは穴に落ちた。夜空の星を眺めていて、穴に落ちたのだ。君はこのソクラテスを笑えるか。」これは、かつて私が通っていた学習塾の教室の壁に大きく貼られていたものです。これを初めて読んだとき、私は「物事に没頭することの尊さ、その真摯な態度を決して笑ってはいけない。」というメッセージとして解釈しました。しかし、「そうではない」と思い至ったのです。没頭のあまり周囲を見失い、自分を見失うことの愚かさは、一笑に付すべきものである、ということではないだろうか。私は、まさに「穴に落ちた愚かなソクラテス」だったのです。
どちらの解釈が正しいのかはわかりませんが、少なくとも私は、孤独が受験勉強にもたらすマイナスの側面に気付いたのです。もちろん勉強は自分でするものであり、その意味での孤独は必要です。しかし、バランスを欠いた過度の孤独に自らを追いやることは、活力を減退させ、目標達成を遠ざけてしまうことになりかねません。
「リハビリ」として、まず私がしたことは、「愚かなソクラテス」を笑うことでした。鬱屈した表情を笑いに変えることでした。そう、鏡に向かって自分に笑いかけたのです。ぎこちない表情でした。何度もやっているうちに、そんな自分がバカバカしくなって、つい本気で笑ってしまいました。久しぶりに見る私の笑顔。無性に自分が懐かしく思え、気づくと笑顔は泣顔に…。
その晩、いつもは勉強部屋で済ませていた夕食を、両親と一緒にとりました。

つづく

私の大学受験(その5)

2012 年 12 月 25 日 火曜日

(2012年9月24日「私の大学受験(その4」からの続きです。)

こんにちは。

私は、高校3年間を通じて、ほとんどの先生から嫌われる生徒でした。授業をサボる、いたずら好き、口達者、おまけに成績は2番(最下位から)。そのツケが回って、受験期に人一倍の苦労を強いられることになるのですから、仕方がないですよね。
そんな私を、最後まで見捨てずに面倒を見てくださった先生が2人います。世界史のO先生と、英語のY先生です。
世界史のO先生。授業中に眠りこけていた私を叩き起こし、ふて腐れた私を廊下に引きずり出して、「お前を殴るのはこれ1回きりだ」と思いっきり拳骨をくれたとき、「この先生なら…」と直感しました。体裁を繕って謝るより、勉強でその誠実さに応えなければならない、と思い至った私は、次の日、先生のところへ赴き、厚かましくも「僕のために、世界史の特別プリントを作って下さい。」と申し出ました。先生は、私のためだけに、3日と空けず次々に世界史要点プリントを作ってきてくれました。「合格して、いち早く先生にその報告をしたい。」私に新たな動機付けが生まれました。
Y先生は、その容姿もさることながら、とにかく訳文の日本語が滑らか、美しかったのです。如何に複雑な構造と難解な内容の英文であっても、どうすればY先生のような、自然な日本語による分かりやすい訳文ができるのか。いや、その前に、英文和訳問題の解答は「日本語」であり、最終的にはその日本語としての完成度が評価の対象となる、という至極当たり前のことを、Y先生に気付かされたのです。この先生を超えたい、ならば先生に師事するしかない、と思い至った私は、先生のところへ赴き、厚かましくも「ご自宅の電話番号を教えてください。」と申し出ました。他意はありません。いつでもタイムリーに質問したかったからです。2晩に1度は電話しました。あげく、「このbutは『しかし』と『だが』のどちらの訳がいいでしょう。」などという質問までする始末。いや、実際に私は、これに2日間悩みました。不遜ながら、そこまでこだわらなければ「先生に勝てない」と思っていたからです。先生は言ってくれました。「君には英語のセンスがある。そして、努力がそのセンスをさらに輝かせることになるよ」と。「合格して、いち早く先生にその報告をしたい。」私にまた新たな動機付けが加わりました。
過酷で孤独な受験勉強。それには「拠りどころ」が必要です。常に自分を力強く支えてくれる存在、その有無は、受験の成否を大きく左右するでしょう。ただ、そうした人物は、偶然目の前に現れるのではなく、自ら求め、自ら得なければなりません。飾らずに言えば、学校であれ塾であれ、先生を自分から積極的に「利用する」ということです。先生の惜しみない協力を得るには、当然ながら、まず自分が勉強を頑張るしかない。そして、先生の誠意に報いるには、当然ながら、合格するしかない。こうした状況を築いたことも、わたしの合格の1つの大きな要因であったように思われます。

つづく

ご褒美制度で計画を立てよう!

2012 年 12 月 17 日 月曜日

 日増しに寒さが増し、いよいよセンター試験まであと30日ほどとなりました。そして、現高校2年生にとっては、いよいよ大学受験に向けて、本格的な取り組みのスタートです。

 今回は、達成できる計画の立て方について書きたいと思います。

 まず、ノルマ制度をやめて、「ご褒美制度」を導入しましょう。
 来週の月曜までに数学の問題集をやらないといけない場合、通常は、やるべきことを書き出して、優先順位をつけてやっていきますが、少し発想を変えて、楽しいイベントから計画を立てましょう。それは、テレビかもしれないですし、友達と遊びに行く予定でも構いません。とにかくまずは、ご褒美を設定します。
 例を示しながら、ご褒美制度について説明します。
 ①日曜の夜21:00から見たいテレビを設定する。
 ②日曜の夜までに勉強が終わる計画を立てる。
 ③②を終わらせるように必死で勉強する。
 ④①のテレビを見る。
といった流れです。
 この方法の良いところは、やる気がでるところです。
 
 もちろん、③で勉強が終わらなかった場合は、④のテレビを見ることはできません。目標が達成できない場合は、当然ですがご褒美はもらえません。
 
 この方法は、みなさんが小学生くらいのときに、お母さん、お父さんがよく使っていた方法ではないでしょうか。「これをやったらお菓子を食べていいよ」といった具合です。同じことを、自分自身にやってみてはどうでしょうか。勉強も頑張れますし、(勉強はやったので)テレビも気兼ねなく見ることができて楽しいです。ご褒美の味は格別ではないでしょうか。
 
 
開成ハイスクール数学科 前田佳邦