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物理学は21世紀の主役にもなりうるか?

2012 年 8 月 20 日 月曜日

 2012年になって,物理学の世界ではいろいろなニュースが飛び込んできています。1月には、ハイゼンベルクが1927年に提唱した「不確定性原理」をより精度のよいものとした「小澤の不等式」(発表は2003年)を裏付ける実験結果が発表されました。このときは小さくではありましたが、新聞の1面に掲載されました。物理学や数学に関する研究成果が新聞の1面に掲載されるということは、ノーベル賞の受賞者の決定以外では極めて珍しいことです。
 しかし、7月になってもっと大きな事件が起こりました。「ヒッグス粒子」が発見された(かもしれない)というニュースです。前述の「不確定性原理」の精度を高める「小沢の不等式」については、日本人が関連したニュースだったがゆえに新聞の1面に掲載された可能性もありますが、今回の「ヒッグス粒子」については(日本人が全く関与していないわけではないのですが)、そういうことを越えた大きなニュースでありました。
 この「ヒッグス粒子」は、1964年にイギリスの物理学者ヒッグスによって提唱された「ヒッグス機構」の中で導入された素粒子です。この「ヒッグス機構」は、2008年にノーベル賞を受賞した南部陽一郎博士の「自発的対称性の破れ」の考えに基づく理論仮説であり、素粒子に質量を与えるメカニズムを示したものです。その中で、万物に質量を与える素粒子とされたのが「ヒッグス粒子」です。素粒子物理学の世界では、その基盤となる理論に登場する素粒子は「クォーク」や「ニュートリノ」など全部で17種類ありますが、この中で唯一の未発見の粒子が「ヒッグス粒子」であったわけです。
 私自身、これ以上わかりやすく詳しく語るだけの知識も能力もありませんが、この「ヒッグス粒子」(らしきもの)の発見は、物理学が新たな段階に入り、さらなる飛躍につながると見られています。昔も今も何もかもを統合するのが大好きな物理学者が今、目指しているのは、自然界に存在する4つの力(電磁気力、強い力、弱い力、重力)をすべて説明する超大統一理論の構築ですが、この「ヒッグス粒子」(しつこいようだが、らしきもの)の発見は、それにもつながる「神の粒子」(そう呼ばれたこともあるそうです)の発見でもあります。もしかしたら、この発見は、21世紀の主役も物理学が張れるきっかけになるかもしれません。
 20世紀、とくにその前半期は物理学の世紀でした。19世紀までにニュートン力学とマクスウェルの電磁気学が登場し、古典物理学は完成していましたが(残念ながら高校で学ぶ物理はここまでです)、20世紀になって、アインシュタインによる相対論、プランク、ボーア、ハイゼンベルク、シュレディンガーらによって量子論という現代物理学の2大理論が登場し、パラダイムシフトが起こされました。しかし、21世紀は生物学の世紀になるであろうと言われています。これは、物理学において大きな発見がなされなくなり、生命を扱う学問である生物学が学問の社会への貢献が要請される現代の状況に合致することが背景にあると言われていました。東日本大震災もあり科学への懐疑も広がっています。しかし、ひょっとすると今回の発見は、新たなるパラダイムシフトへつながるかも、と期待されます。
 歴史を紐解いてみると、19世紀末、すなわち相対論、量子論が登場する直前の状況も現代と非常に似ていました。物理学では、ニュートン力学と電磁気学の完成を受けて、もうマクロな現象はすべて説明されると考えられ、もはやこれからの解くべき問題は小数第5位、第6位の世界だけかと言われていました。ニーチェは「神は死んだ」と言い、科学も行き着くところまで行き着いたと言われていたぐらいです。科学への懐疑も強く、人は電燈の明るさに感動しつつも電燈から電気が漏れ出して人類は滅亡しないかと恐れてもいました。そのような中から、物理学は次々と新たな発見をし、主役の座を得たわけです。また、歴史は繰り返されるのでしょうか?
 最後に余談ですが、ひょっとするとこの発見のニュースは来年度の大学入試にも影響を及ぼすかもしれません。もちろん物理や数学、あるいは化学といった自然科学系の科目に影響を及ぼすことも考えられますが、英語の読解問題にも影響を及ぼす可能性があります。大学を問わず、英文読解に自然科学分野の英文が出題されることが増えていますが、とりわけ物理学に関する英文が増える可能性があります。最近では、2005年がアインシュタインの相対性理論発表から100周年、アインシュタイン没50周年にあたる年でしたが、それを受けてかこの年は、アインシュタイン、あるいは物理学(宇宙物理学などもふくむ)に関する英文の出題が多かったように思えます(あくまで印象論です。統計的な裏付けはしていません。あしからず)。
ちょっとは予備知識があった方が、物理、化学、数学はもちろん英語にも有利になるかもしれません。

開成ハイスクール 片岡尚樹

語彙は英語の生命線

2012 年 8 月 16 日 木曜日

 こんにちは。
 皆さん、夏休みの宿題は進んでいるでしょうか。私たちの夏期講習では、英語長文を扱う講座もありますが、私が担当しているクラスでは、高1・2生ともに苦戦している生徒も多いようです。
 英語の生命線は「語彙」であると言っても過言ではありません。大学入試センター試験では、通常4500語レベル、国公立2次試験では5500語レベル以上の語彙力が必要とされると言われます。いくら文法の知識や読解のテクニックを学んでも、核となる語の意味を知らなければ、それらを培う努力は水の泡となってします。
 とはいえ、4500語レベルの語彙力を獲得するには相当な物理的時間と、心理的・肉体的労力が要求されます。まして、これを高3の一年間でやるのは事実上不可能であるとも言えるでしょう。時間の余裕を持って、計画的にコツコツと積み上げるよりほかありません。
 草津駅前教室では、夏期講習に先立って「サバイバル英単語」というイベントを実施しました。朝10時集合で、与えられた語数(高1は600語、高2は1200語、高3はそれ以上)の語彙テストに合格するまで帰宅が許されない、という過酷なイベントでしたが、夏期講習で長文演習を実施した際に、「あ!この単語覚えている」「サバ単の成果が出ているなぁ!」という声が多く聞かれます。
 私は、こうした言葉が生徒から出るのを大変うれしく思います。「覚えている!」はもちろんのこと、「見たことがある」の状態でも、英文読解の際の効率は非常に高くなります。比喩的に言えば、「0から1を生み出す労力より、1にかけ算をして増やすほうがはるかに容易である」ということです。
 1・2年生からしっかりと単語を覚える習慣をつけておくと、高3になってから必ず得をします。先を見据えて、今こそ貯金を作っておいてくださいね。
 
 
開成ハイスクール英語科

夏休みの常識

2012 年 8 月 6 日 月曜日

 夏休みの真っ最中、暑い日が続いていますが、体調管理は大丈夫でしょうか。
 さて、この夏休みという制度ですが、ここ数年変化しつつあることにお気づきですか。

 そもそもなぜ日本には夏休みがあるのでしょう。諸説あるとは思いますが、学校の校舎に冷房設備がない場合が多く、やむを得ず休みになっているのも理由の1つだそうです。そう言われてみれば、私が高校生の頃は、校舎にエアコンなどはなく、冬になると教室にストーブが設置される程度だったと思います。
 今の高校にはエアコンが完備されている所が多くなってきたせいか、8月いっぱいまで休みにする必要がなくなったようで、8月中に新学期が始まる学校が増えてきました。
 先日あるクラスで、昔は8月31日には宿題に追われて遊びに行けなかった、という内容の話をしたところ、生徒たちは何を当たり前のことを言っているの、というようにキョトンとしていた理由がわかるような気がします。

 今年は日本中で節電が求められていて、必ずしも毎日快適に暮らせているとも限りませんが、いつの時代の学生にも宿題だけは山ほどあるようで、苦労されている生徒をたくさん見かけます。塾の自習室などを利用して早めに自由な時間を確保してもらいたいです。

 そしてそこからが本当の競争の始まりです。これも昔と変わりありません。

 
開成ハイスクール英語科 濱田健太郎

卒塾生の力

2012 年 7 月 30 日 月曜日

開成ハイスクール西田辺教室では、多くの卒塾生が勤務しています。
今年、新入社員で入ってきたS先生も元開成の塾生です。

大学生のスタッフ(チューター)の中にも、私の教え子が増えてきました。
けなげに頑張っている彼らを見ていると、胸が熱くなります。

彼らは、楽に大学に合格した生徒ではありません。
苦しみながら辛さに耐えて、その結果合格した生徒たちです。
その苦しみや辛さは、今、この現場で生かされているのです。

彼らには、部活と勉強の両立に困っている生徒に、的確なアドバイスができます。
世界史・日本史・地理・倫理政治経済など、社会科目の選択で困っている生徒、
化学・物理・生物・地学など、理科科目の選択で困っている生徒に、
自分の体験談、成功例、失敗例などを交えながら相談に乗ることもできます。
進学先や学部決定で困っている生徒に、豊富な情報を提供することができます。

また、彼らが生徒の質問に答えるスピードにも驚きます。
あとで聞いてみると、実際に彼らも高校時代に苦手としていた分野だったとのこと。
すぐに生徒たちの躓いている箇所がわかるそうです。
失敗が、いい形で生かされているなぁと感じます。

彼らの気配りや配慮は想像以上です。
私自身が忘れていたことを思い出させてくれることも…。
そんな彼らを、私は本当に誇りに思います。

現高校3年生で、「卒業後、開成で働きたい」という生徒も結構いるようです。これほど喜ばしいことはありません。

暑い日が続いていますが、生徒のみなさんは体調に気をつけて、充実した夏期を過ごして下さい。

 
開成ハイスクール英語科 大道 英毅

子どもの成長と今後の教育について

2012 年 7 月 17 日 火曜日

 娘が1歳になりました。
 0歳から1歳への成長はすごいもので、もはや赤ちゃんというよりも、幼児になってきたなあ、と感じています。

 今はまだ、どういった習い事をするべきかについては考えていませんが、今後はしっかりと考えていかないといけないと思っています。私は数学講師なので、娘には「前田先生の娘は数学ができるんだろう」という周囲の期待がかかってしまうと思います。しかし、数学の能力は必ずしも遺伝しないと思うのです。もっと言うならば、私はもともと、数学が苦手だったのです。
 そこで、数学ができるために私が重要だと思うことを書いておきます。

 ①計算が早いこと
 ②計算ミスがないこと
 ③論理的に問題を考えること
 ④図形的な直感があること

 この4つが、数学ができるようになる上で重要であると私は考えています。
 上記の4つのうち、①・②については、基本的な四則計算(+-×÷)が速く、正確にできることです。そのためには、ソロバンや計算ドリルなどでの反復練習が重要です。娘にも是非、ソロバンを習わせたいと考えています。
 ③・④については、資質による部分もあると思いますが、なるべく身につくように日々の生活の中で、あれこれ工夫しながら娘に楽しく指導していきたいと思っています。

 1歳にして親の過大な期待を背負って、子どもは大変ですね(笑)。

 数学は、努力次第でできるようになる科目です。私はすでに高校生だから数学ができないと思う必要はありません。少なくとも大学入試の数学では、天才的な閃きがなくても合格点を取ることはできますので、とにかく日々の努力を大切に、数学に取り組んでいきましょう。
 
 
開成ハイスクール数学科 前田佳邦
 
 

私の大学受験(その3)

2012 年 7 月 9 日 月曜日

( 2012年5月7日「私の大学受験(その2)」からの続きです。)

 こんにちは。

 神戸市外国語大学。わたしはその「偏差値」をまったく知りませんでした。いや、正しくは、そもそも「偏差値」なるものを知らなかったのです。ところが結果として、そのことが私には幸いしたのかもしれません。学年2番(最下位から)の生徒が、志望校の偏差値を知ってしまった時点で、要らぬ先入観が災いし、はなから受験を断念してしまったかもしれないのです。
 さらに、センター試験や二次試験の出題形式などもまったく知らずに入試当日を迎えることになりました。もちろん、模試なども受けていません。なんという身のほど知らずでしょう。情報戦略も合格の大きな要因となる今日の受験からすると、考えられないことですね。
 ところが、私なりに信念があったのです。「真の実力」があれば、いかなる形式で出題されようとも、解けないはずがない。例えば英語なら、すべての英文をすぐさま正確に解釈できるなら、それに付随するどんな設問にも答えられないはずはない。とにかく要は、絶対的な「真の実力」を身につけさえすればいいのだ、という考えです。
 誤解のないように断っておきます。今日の受験では、出題形式に見合った合理的な「解答法」を技術として身につけることは必須の課題です。ところが当時の私は、そうした戦略・戦術を立てる賢明さと情報を著しく欠いており、だから、あれこれ愚策を弄するより、とにかくすべてを完璧にすることに専念するほうがむしろ近道である、と考えたのです。
 では、どこまでやれば「完璧」なのか。その基準は自らに設けました。「自分で納得のいくまでやる」というものです。つまり、偏差値や出題形式といった「枠」に従って勉強の質と量に上限を設けるようなことは一切しなかったのです。ここまでは入試に出る、これ以上のことは入試に出ない、といったことをいちいち考えるくらいなら、とにかく目にしたもの、載っていることすべてを貪欲に吸収していったほうが手っ取り早い、と思ったのです。客観的には非合理、非効率的な勉強法ですが、私にとってはそれがむしろ効率的に思われたのです。あれこれ考える前に、とにかく「やる」。やるかやらぬか迷うくらいなら、とにかく「やる」。難しかろうが多かろうが、とにかく「やる」。入試に出ようが出まいが、とにかく「やる」。その単純さが私には最も分かりやすく、腑に落ちる勉強法でした。
 2番(最下位から)の生徒を国公立大受験のレベルにまで鍛え上げるには、むしろやるべきことの上限を設けなかったことが功を奏したのかもしれません。

つづく

新指導要領と数学

2012 年 6 月 25 日 月曜日

 みなさんこんにちは。梅雨の季節、じめじめした日が続いて憂鬱になることもありますが、みなさんはどうでしょうか?とにかくカラッとした日になることを、私は、日々心待ちにしています。
 さて、今回は新指導要領について書くことにしましょう。みなさんもよく知っているように、今年度から、高校の数学の指導要領が変わりました。今回の改訂の大きな特徴のひとつは、「統計」という分野がかなり取り入れられたという点でしょうか。近年のコンピュータ技術の発展と情報化社会の進展をうけて統計が取り入れられたのですが、統計とは何をする分野かご存知でしょうか?
 少し唐突かもしれませんが、みなさんにひいきの野球のチームがあったとしましょう。そして、そのチームが日本シリーズに出場し、日本一を争うとしましょう。何戦目のチケットを買えば優勝の瞬間に立ち会える可能性が高くなるでしょうか?(日本シリーズとは、2チームが戦って、先に4勝したものが優勝を勝ち取るルールになっています。)この問題に対して、みなさんの中には、次のように考える人がいるかもしれません。「今年は、史上最強に強いから、4連勝して優勝するに決まっている!」
 また、ひいきにしている分だけ、そのチームの欠点が見えている人もいるでしょう。そういう人は「何回か負ける可能性もあるよな」と少し冷静に考えて、過去のデータに当たってみるかもしれません。今は便利な時代なので、少し調べると、過去のデータを見つけることができます。私が調べたデータを以下の表で示します(割合は小数点以下一桁まで計算しています)。

試合数 4 5 6 7 合計
回数 7 15 20 20 62
割合 11.3% 24.2% 32.3% 32.3%

 この表は、過去62回の日本シリーズで何試合目に優勝が決定したかを示すデータです(ただし、引き分けは無効試合にして回数にはカウントしていません)。表を見てすぐにわかることは、6試合目と7試合目が一番多く、同じ回数であるということです。データを調べてみた人は、この表を見て次のように考えるでしょう。「なるほど、さすが日本一を争うだけある。激戦を繰り広げて、一番試合数が多くなるようになっているのだな。よし、6試合目のチケットか、7試合目のチケットを買うことにしよう。」
 さて、最初の人と別の結論が出てしまいました。一体何が起こったのでしょう。実は、このことを明らかにするのが、「統計」という分野になります。実際、高校で習う反復事象の確率の考え方を応用すると、理論上、何試合目に優勝が決定するかということを計算することができます。実際の計算は省略して、それを以下の表で示しましょう。

試合数 4 5 6 7 合計
割合(実測値) 11.3% 24.2% 32.3% 32.3%
割合(理論値) 12.5% 25.0% 31.3% 31.3%

 先ほどの実際の値と並べて、理論値を書き並べました。なお、この理論値を出すために、2チームは互角の力をもっていると仮定しています。さて、表を見てすぐわかることは、1%程度の誤差はありますが、実測値と理論値が非常によく一致していることです。こうして、理論的にも6試合目、7試合目で終わる可能性が高いことが立証されたといえます。では、最初の人が考えた「今年は、史上最強に強いから、4連勝して優勝するに決まっている!」という考えは間違いなのでしょうか?統計の考え方をすれば、実はそういうことは言えません。数行前にさらっと書きましたが、理論計算をする時に「2チームは互角の力をもっている」と仮定していたのです。したがって次のように考えるのが妥当でしょう。「長い目で見れば、日本シリーズに出場する2チームは互角の力をもっているのだろう。しかし、時には圧倒的に強いチームが出場することもある。実際、過去62回のうち、7回は4戦目で終わっているのだから。」
 さて、以上で統計の話を終えますが、どうだったでしょう。「なんだ、当たり前の結論じゃないか」と思う人もいるかもしれません。しかし、数学においては、この「当たり前」に至るプロセスが大事なのです。問題に当たったとき、最初はいろいろな意見があります。そんな中で、実際にデータを調べ、そこに理屈を見出し、しっかりした結論を導き出す、このプロセスが数学で大事にされる点です。皆さんの中には、普段、点数という結果で計られることばかりで「憂鬱だな」と感じている人もいるかもしれませんが、そういった結果、結論にばかり縛られるのではなく、定期テストの勉強や、受験のための勉強をする中で、よく調べ、考え、正しい答えを導き出す訓練をしていってください。

開成ハイスクール数学科 村上 豊

金環日食と数字

2012 年 6 月 18 日 月曜日

 去る5月21日の金環日食。私が住む大阪では、282年ぶりに見られるとあって、少し雲もありましたが、日食用のメガネを通して金の指輪のようにきれいな円を描く美しい太陽を見ることができました。次に大阪で観測できるのは、今から300年後の2312年ということで、「遠い未来の話だなぁ」と思いつつ、少し切なくもなりました。
 ところで、300年後が遠い未来だというのは、1年が365日あり、300年 = 109500 日という、とてつもない日数になるからですが、かつて昔は1年が360日であったことをご存知でしょうか?月の満ち欠けが約30日で繰り返され、それが12回続くとだいたい同じ季節がやってくるということでそのように決められていました。
 ここで、360という数字に何か思い浮かばないでしょうか?そうです。円の角度が一周で360°ですね。この360°は上記の1年が360日であったことに由来しているそうです。私も昔から360という中途半端な数字に疑問を抱いていましたが、地球が太陽の周りを一周するところから引用したといわれると納得です。しかも、360という数字は、100のようなきりのいい数字よりも実用的で、
 1,2,3,4,5,6,8,9,10,12,15,18,20,24,30,36,40,45,60,72,90,180,360の24の約数をもつので、円を簡単に分割しやすい・正多角形が書きやすいなどのメリットがあります。
 普段は360のような数字をあまり気にすることがありませんが、この世の中には多くの数字が存在し、至る所で使われています。今回のブログでも多くの数字が使われていますね。ふと、数字の由来を考えてみると、先人が考えた素晴らしいアイディアや意外な一面を垣間見ることができるかもしれません。

開成ハイスクール数学科 鈴木悠太

定期テストの経験値

2012 年 6 月 11 日 月曜日

 こんにちは。日に日に暑くなり、夏の到来を感じる季節になってきました。
 定期テストが終わったみなさんは、通常の生活ペースに戻り、クラブ活動などにも精を出していることでしょう。貴重な高校生活、クラブやプライベートもしっかりと充実したものにしていきたいですね。

 さて、あと1か月と経たないうちに、期末テストを迎える人も多いのではないでしょうか。改めて、前回のテストのことを振り返ってみてください。日々の瑣末なことに追われて、テスト勉強を十分にできなかったという人はいませんか?私には、テスト後の反省を活かせず、次のテストでも散々な結果になってしまったということが何度かありました。そこで、「テスト直前に勉強に追われるのが嫌だから」と始めたのが、数学の問題集を日ごろからどんどん解いていくことでした。そのおかげで、テストの2週間前には出題範囲がほぼ終わった状態で、他教科のテスト勉強もかなり楽になったことを覚えています。何事も余裕が大切です。余裕を持った勉強こそ長続きし、テストで良い成績をもたらすための秘訣なのかもしれませんね。

 毎回の定期テストを通じて、みなさんは様々なことを経験するはずです。それを「よい経験」として次回に結びつけるためには、反省点を明確にし、具体的な改善策を立て、すぐに実行に移すことです。そうして積み重ねた経験値は、必ずや、来たる大学受験勉強に活かされるはずです。
 
開成ハイスクール数学科 光畑雄策

ダニューブ・エクスプレス(おまけ)あるいはイスタンブル事情

2012 年 6 月 4 日 月曜日

 ダニューブ・エクスプレスの終着駅は、イスタンブルのシルケジ駅でした。このイスタンブル(よく日本では「イスタンブール」と言われますが、現地では「タ」にアクセントを置きます)は、世界で唯一のアジアとヨーロッパにまたがる都市です。マルマラ海と黒海を結ぶボスフォラス海峡をはさんで、東側がアジア側、西側がヨーロッパ側、さらにヨーロッパ側は金角湾をはさんで、南側が旧市街、北側が新市街になっています。ダニューブ・エクスプレスは、ヨーロッパ側の旧市街をマルマラ海に沿って走り、旧市街を回り込むようにして、金角湾の入り口にあるシルケジ駅へと到着します。
 シルケジに到着すると、まず宿探しでした。一応、ホテルのクーポンをもっていた私は、使用できるPホテル — ここはイスタンブルでも有名な老舗でありまして、あの「オリエント急行殺人事件」のアガサ・クリスティやトルコの初代大統領である「国父」ケマル・アタチュルクも泊ったというホテルでありました。つまり、クーポンでもなければ、手が出ないホテルです — へと、タクシーで向かうことにしました。
 タクシーに乗ると、あごひげを生やし、トルコの民話「ナスレティン・ホジャ」のホジャのような風貌の老人でありました。一見、人の良さそうな老人でありましたが、酒臭い。ホテルの名前を告げると、前金で750円請求します。最初なので、どのくらいの距離かわからない — 簡単な地図はありますが、この時点では距離感がつかめない — ので、しょうがなく払います。
 タクシーが走ると、地図とつき合わせながら、距離をつかみます。近い。旧市街と新市街とを結ぶ、イスタンブルの象徴とも言えるガラタ橋(トランプの「ブリッジ」はこの橋だそうです)を渡り、交通量が多い街なのでゆっくりと走るのですが、あっという間に着きます。これで750円は高い。とはいえ、最初は授業料です。
 Pホテルに着きます。クーポンを見せます。すると、なぜか使えないと言う。すったもんだがありましたが、やっぱりダメ。クーポンなしではここは1泊 1万円はする。しょうがないので、Pホテルのボーイが紹介してくれた向かいにある Kホテルに泊まることにしました。ここは 1 泊 1000 円でした。何とこのホテル、日当たりは最悪でしたが、ちゃんとエレベーターもあり、トイレは水洗、バスにちゃんとお湯が出ます。モスクワ以来久々にシャワーを浴びることができました。フロントのオバちゃんも愛想がよく、居心地がよいところでした。ただ、オバちゃんが以前泊った日本人旅行者に貰ったらしい使い捨てカイロをどう使うのか聞いてきたときは、それを開封せずに、しかも英語で説明しなければならなかったので大変でしたが。
 さて、このイスタンブルのタクシーですが、運転手はほぼ誰でも英語が通じ、ふつうはきちんとメーターが付いていて(もう一度 Kホテルからシルケジ付近までメーター付きで乗ったところ、250 円ほどでした)、非常に乗りやすいのですが、何せ、飛ばす、飛ばす、飛ばすのです。この最初の運転手は飲酒運転であるにもかかわらず、おそらく私が乗った中では最初で最後の安全運転でした。空港と市街地を結ぶハイウェイ(というほどは整備されていない。穴ぼこもよく開いてる)だけでなく、市街地の一方通行の狭い道を逆走するときでも、また前に横断している人がいようとも、アクセル全開で突っ込んでいきます。運転が粗いと言われる大阪人も、名古屋人でも太刀打ちできません。バンコックのタクシーよりはおとなしかったかもしれませんが…。そう考えれば、英語が通じるだけイスタンブルのタクシーの方がマシですが、現在はどうなのかはわかりません。
 私はこの Kホテルに 4 日間滞在したのち、当時、日本人バックパッカーのたまり場として有名だった Mホテルへと移りました。ここは 1 泊 300 円でした。トイレ、バスは共同のドミトリー、バスのお湯は出るかどうかは運と要領で決まるというところでした。ここは自炊もできるところで、謎の日本人のオジサン集団がひと月以上滞在していて、毎晩、号令をかけながら、料理を作っていました。この人たちはいったい何者なのでしょうか。他の日本人旅行者も、イランに行ってきてこれからヨーロッパへ行く人たち、ヨーロッパを回ってこれからイランに行く年齢不詳の女性、テヘランに半年住んでいた学生、ホテルにやはり数カ月逗留しているけどホテルにもあまり帰ってこない(と聞いただけで実物には会ってはいない)人など、強者ぞろいでした。何せ、当時イランはイラクと戦争中で、テヘラン市街にはイラクのミサイルが連日撃ち込まれていた時期です。とくにイランを旅行してきた人たち(何人もいました)はイラン国内でも何度か出会った人たち同士らしく、再会するなり、「よく、(イランを)生きて出られましたね」と互いの無事を喜んでいましたし、テヘランに住んでいた学生の半年間の話はもっと凄まじいものでした(でも彼はことあるごとに「イランに帰りたい」と言っていましたが)。旅行者の多くはイスタンブルへ到着すると、アジアから来た旅行者は緊張感が解け、ヨーロッパから来た旅行者は物価の余りの安さにずるずると居着いてしまうようです。そして、私もその一人でした。本当は、ここからさらにアテネかローマでも行くかと思っていたのですが(せめてユーゴスラビアは行くべきでした)、居心地の良さもあり、昼前に起きてはホテルのロビーのテレビでボケーとフトボル中継を見(ただ、当時のトルコのテレビは番組が少なく、突然ホワイトノイズが轟音を響かせることが多々あり、なかなか居眠りはできませんでしたが)、そのまま夜は飲んだくれるという、旅行者の自覚に欠けた生活を送るはめになりました。そのような強者の中でもソ連に行った人間は珍しいらしく、私はいろいろと事情を聞かれました。
 しかし、こんな時代はもうイスタンブルにもないようです。このあと、イラクのサダム・フセインは、クウェートへ侵攻し、さらに湾岸戦争へと発展しました。これ以降、イスタンブルのホテルの値段は急騰し、この 5年後にはKホテルぐらいの中級ホテルでも1 泊 40ドルなら格安という状況になります。日本人も裕福になり Mホテルのような超格安ホテルに泊まる日本人もほとんどいなくなったようです。とくに、私が最初に訪れたのが 1988年、2回目に訪れたのが 1993年だった(さらにもう1回行っています)のですが、現地に住んでいる人に聞いた話では、この5年間のイスタンブルの変動はかなり大きかったようです。「いい頃に来ましたね」とその人は私に言いました。
 今、イスタンブルは世界遺産に登録され、日本からも相当の観光客が訪れるようです。今も当然魅力のある街なのですが、最初に行ったときに感じたあの独特の雰囲気、猥雑さというと少し不適切なのかもしれませんが、モダンからポストモダンへと脱皮する直前の数多くのものが錯綜した雰囲気はもう味わえないのかもしれません。

開成ハイスクール 片岡尚樹