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すぐに実践できる「高校古文の勉強法」

2011 年 6 月 6 日 月曜日

「古文」と聞くと、「なんとなく」や「フィーリング」で解くものと誤解している人はいませんか。何が書いてあるかわからない・・・、現代の価値観で読んでしまう・・・、などなど、古文に対する様々な障壁がみなさんの前に立ちはだかっていることでしょう。
そこで、誰にでもできる、「これだけは」という簡単な古文の勉強法を3点紹介します。

 ①単語
 ②文法
 ③反復音読

まず、①単語についてです。もちろん学年により習得すべき単語の数は異なりますが、目標数を定めてみましょう。
高校1年生は150語、高校2年生は300語、高校3年生は500語を目標として下さい。よく耳にするのは、「市販の、どの単語集を使えばいいのですか」という質問ですが、単語集は「書いてある中身はほぼ同内容」です。ですから、まずは本屋さんへと足を運び、自分にあった書き方(文字の大きさや形式)や、構成(例文がついているか否か、意味が多く載りすぎていないか)などを確かめ、自分の気に入った、モチベーションが上がりそうな一冊を購入して下さい(その際、単語の語数が学年別に見合ったものを選択するのが大切です)。きっと自分の目で見て選んだものならば、人から薦められるものより、愛着が湧くはずです。単語数は読解力とある程度比例しますので、単語数を増やすことがまずは古文のステップ1となると考えてください。
次に、②文法です。勉強することは3点、「助動詞・助詞・敬語法」です。文法というのはこの3点により構成されているので、「私は助詞がわからない」とか「敬語が理解できていない」など、自分の分からない分野を意識し、そこを徹底的に繰り返し学習していきましょう。もちろん、こちらもお気に入りの参考書を一冊、各自でみつけてください。苦手な人は、無理にレベルの高いものに手をのばす必要はありません。まずは簡単に理解できるものから始めましょう。そして、必要なことは「反復練習」。単語集もそうですが、同じ一冊を繰り返し、少なくとも3度は読み解くことが肝心です。その後、レベルの高いものへと徐々にステップアップしていくのがよいでしょう。
最後は、③反復音読です。これは、話の内容が、自分である程度理解できている(と思われる)文章を、繰り返し音読するというものです。意味のまとまりや文節で区切りながら、「声を出して」読むことで、客観的に自分の理解の程度が確認できるはずです。学校の授業をしっかりと理解し、その後、教科書を用いた音読の材料を沢山作っていくことは非常に大切な作業です。日頃から、1つでも多くの文章を吸収し、その後の反復音読を行うことで、自然と古文の力が身につくはずです。
以上、すぐに実践できる身近な勉強法3点を紹介しました。古文はとにかく「慣れる」ことが大切です。皆さんも、まずは自分のできることから、古文の勉強に積極的に取り組んでみてください。きっと、今まで知らなかった古文のおもしろさに、少しずつ気付くことになるでしょうから。

開成ハイスクール国語科 重留英明

定期テストが終わって…

2011 年 5 月 30 日 月曜日

 こんにちは。
 新学年最初の定期テスト、予期に反して点数が伸び悩んだ人はいませんか?もしそうであるなら、できるだけ早く、残念な気持ちが強く残っているうちに、次回に向けて具体的な改善策を講じる必要があります。喉元をすぎてからでは、また変わらぬ日常に戻ってしまい、次回も同じことの繰り返しになってしまいます。
 まず、答案用紙をじっくり見て、結果の分析(自分はどんな間違いをしているのか)、原因の分析(なぜそのような間違いをしたのか)を行い、さらに改善策(どうすればそういった間違いを繰り返さないで済むか)を立案し、それらをすべて書き留め、机の前に貼っておきましょう。それを毎日見て、実行すべきであることは言うまでもありません。
 時間の使い方にも問題があったのかもしれません。本腰を入れて定期テストに向けての勉強を始める時期が遅すぎた、ということです。否、定期テスト勉強をスタートさせるべき時期などありません。当たり前のことですが、毎日がテスト勉強なのですから。点数をアップさせたいのであれば、反省の気持ちが残っているうちに、そう、今日からでも、次のテストに向けて毎日の取り組みを始めてください。そうすれば、必ず、必ず成績は上がります。それしかありません。
 最後に、次回のテストまでの残り日数を大きく紙に書いて、これも机の前に貼り、毎日その残り日数を更新していってください。それだけでも、時間の大切さを意識するきっかけになるはずです。
 さあ、今日から実行です。

数学の勉強の仕方

2011 年 5 月 24 日 火曜日

 みなさん、こんにちは。今の時期というと、学校によっては1回目の定期テストはすでに終わり、結果が返ってきている頃でしょうか?中には、もう2回目の定期テストのことを考えないといけない高校もあるでしょう。
 ところで、定期テストが終わったみなさん、結果はどうだったでしょう?まだ始まっていない皆さんは、準備は万全でしょうか?高校の勉強は、量も密度もケタ違いです。義務教育からはずれ、教科の内容によっては、そのまま社会で使われているような知識を習うこともあります。そのような中で、どういった勉強の仕方をしていけばいいのでしょうか?ここでは、数学の勉強の仕方に限って書いてみることにしましょう。
 数学の勉強の仕方の一つ目として、慣れることで「一定の型」を作ってしまうということが挙げられます。高1だと最初のテストの範囲として、因数分解が出されたことでしょう。非常にたくさんの文字式が出てきて、目がちかちかした人もいるかもしれませんが、解くための型というのは、たいして多くなかったと思います。数学というものは、非常に少数のルールによって多くのものを取り扱う方法を提供しています。一見、無味乾燥に見えて、退屈に思えることもあるでしょうが、嫌がらず、型を身につけるようにしましょう。そうすることで、数学の基礎体力ができます。
 では、型を身につければそれで終わりでしょうか?実際、高校の数学はそれだけではマスターできません。数学の二つ目の勉強の仕方として、問題が何を表しているのか、ということを冷静に見るという点が挙げられます。中学での文章題にあたる問題や、高校での関数にあたる問題の多くが、このポイントに当てはまります。答案を作成する時に書く数式が何を表しているのか、時に注意して見てみましょう。ついつい、小学校の算数の時の気分で、答えを出すことに集中したり、早く問題を解くことに注意がいったりしてしまうことがありますが、慌てず、問題が表していることを数式にする、というのが大事です。答えは、型を身に着けていれば、おのずと導かれます。冷静に問題と向き合い、慌てないようにしましょう。
 数学の勉強の仕方の三つ目として、必ず手を動かす、いろいろなことを書いてみる、試してみる、ということが挙げられます。特に図形の問題やグラフの問題がこの方法に当てはまりますが、とにかく試行錯誤してみるというのが大事です。なかなかポイントが掴めないということはよくあります。でも、あきらめず、いろいろと試して見ましょう。そのような経験が後々大きく効いてきます。わかっていると思っていることでも、意外とわかっていなかったと気付いたり、試行錯誤の中で自分なりにポイントを発見することもあります。数学に親しむことから逃げないようにしましょう。
 最後に、数学の点数が悪くても落ち込まないようにしましょう。高校の数学はかなり抽象的な問題が多いです。数学の経験をつまないと、腑に落ちないような問題に出くわしてしまいます。実際、私自身も数学のある分野について、2年間ほどさっぱり手をつけることができないことがありました。今、できなくても1年後にはできるようになっていることがあります。前向きに取り組むことが大事です。怖れず、嫌がらず、しっかり学んでいきましょう。

数学科 村上 豊

ダニューブ・エクスプレス(その 3)

2011 年 5 月 16 日 月曜日

ソ連国境の駅、ウンゲニー駅での停車時間は約 3 時間、すったもんだの出国審査を経て、ようやくソ連を出国できました。車内にあった国際列車時刻表によると、ウンゲニーはソ連時間で午後10時着で2時間停車の午前0時発になっているので、時刻は午前3時ごろだったと思います(このように遅れはどんどん蓄積されていきます)。列車は時速15キロぐらいの低速で進み、厳戒の国境を越えます。陸路で国境を越えるのは、生まれて初めてのことでした。真夜中でもあり、しかも当時の国際情勢もあり、ソ連もルーマニアも国境警備はきわめて厳戒です。ナトリウム灯が薄暗く、しかし危険な暗黒を作り出すことないよう照らす中、自動小銃を抱えた警備兵たちが微動だにせず列車を見守ります。本当に緊張感が漂う光景なのですが、その雰囲気に長時間浸っている暇はありません。何せ、ソ連の出国審査官は、私の荷物を見事にひっくり返してくれました。片づけないと私も、同じコンパートメントのイラク人留学生たちも眠れません。彼らが連結器のところで呑気にタバコでも吸っている間にトランクに荷物を詰め込んでいると、隣のコンパートメントの女性客(国籍不明 — 聞き損ねたため不明、外見だけでどこの出身かわかるほどこの辺りの人たちは甘くない、年齢不明 — これを聞いたらどつかれる)がやってきて、「いっぱい荷物あるね、でもどうせ今、片づけてもルーマニア人がまた全部ひっくり返すよ、だからしてもムダよ」とからかう。彼らはみな何回もこの列車に乗っているようなので、よくわかっています。それでも、ある程度片付きました。
そうこうしているうちに、静かに走った列車はルーマニアの最初の駅ヤシに着きます(一応私の持っているダニューブ・エクスプレスのチケットの経由地には「キエフ、ウンゲニー、ヤシ、…」と書かれています。ですので、この駅がヤシ駅だと思いますが、本当のところはわかりません)。時刻は午前2時半ごろです(ソ連とは1時間時差があります)が、入国審査が始まります。
ルーマニア入国にあたって、私には一つ小さいながら、もし的中すると大きな問題になる不安がありました。それはルーマニアのビザ(査証)を事前に取得していないということでした。この当時、日本人がソ連、東欧といった共産圏諸国へ渡航するのはなかなか手続きが厳しかったのです(今はどうなっているか、よく知りません)。当時、個人がソ連へ渡航する場合、1)ソ連の国営旅行会社「インツーリスト」と提携している日本の旅行会社へ渡航希望(いつからいつまでの期間でどの都市に行きたいかを書いたもの)を出す、2)旅行会社がその希望をインツーリストへ照会し、インツーリストはそれを適当にアレンジして入国から出国までの全ての都市間の移動手段(飛行機、鉄道)および宿泊施設のスケジュールを決定して旅行会社へ通知、3)スケジュールを了承すれば料金を払い込む、4)その料金支払いの証明書「バウチャー」がテレックス(何だかわかりますか?)でソ連から旅行会社に届く、5)パスポートと受け取ったバウチャーを持って渡航者がソ連大使館へ出向きビザを取得する、という手続きが必要でした。ちなみに今回、私がこの手続きをしたわけではなく、このすべての段階を旅行会社が代行してくれたのですが、ダニューブ・エクスプレスに乗るのは私単独の行程ということで、旅行会社はインツーリストへの手配のみで、ダニューブ・エクスプレスの分のバウチャーは私がモスクワまで持って行って、直接インツーリストのオフィスでチケットを受け取ることになっていました。ですので、東欧諸国のビザの取得を日本国内でするかどうかは私が判断することでした。ブルガリアの通過ビザは取得しておいた方がいいとのことだったので取得を依頼しましたが、直前に地図を見るまで、ダニューブ・エクスプレスがルーマニアも通過することには、気づいていませんでした(アホです)。旅行会社に聞いてみると、「ルーマニアは入国時でも大丈夫だろうと思いますけど」と曖昧な返答でした(国際情勢は猫の目のようにコロコロ変わるので、この返答を責めることはできません、なんせひと月以上も先のことです)。出発目前に東京のルーマニア大使館に電話してみると、いきなり“Hello”と英語の返答、「日本語ができる人に代わってください」などというのも忘れて、しどろもどろの問答ののち、どうやら入国時でも通過ビザならば取得できそうだとはわかりましたが(このとき、せめて「大使館」「領事館」「観光ビザ」「通過ビザ」ぐらいは英単語を覚えておこうと思いました)、英語なので言質を取ったとは言えません。ダニューブ・エクスプレスに乗り込んだときも、イラク人留学生たちは、「お前、ビザを持っているのか」と聞いてきましたので、一抹の不安がよぎります。とはいえ、西側諸国に対して穏健なルーマニア(これは1984年のソ連、東欧諸国はそろってボイコットしたロサンゼルス・オリンピックにルーマニアとユーゴスラビアだけは参加していたということだけが根拠です)だから、まあ大丈夫だろうという希望的観測(今考えると無謀です)を持ってはいました。
案の定、私のパスポートを見てビザがないことを知った入国審査官はそのままパスポートを持ち去りました。ただ、慣れているはずのイラク人留学生たちのパスポートも持って行きましたし、彼らは当時の赤い表紙である私のパスポートを見て、“Oh, communist colour!”などと囃したてていたので、意外と緊迫感はありませんでした。とはいえ、海外でパスポートが手元にないというのは不安なものです。
15分後ぐらいでしょうか、入国審査官が戻ってきました。イラク人たちにパスポートを返し、カネを請求しています。彼らもカネが必要なら私も必要かと思い、財布を出そうとすると、彼らはなぜかその手を遮りました。私はなぜかカネを請求されることもなく、パスポートを返され、中にはルーマニアの通過ビザがしっかり押されていました。
案ずるより産むが易しという形で、ダニューブ・エクスプレスの行程で一番不安があった問題が解消されました(トラブルを期待していた皆さん、ごめんなさい)。旅のベテランであればよくあることなのかも知れませんが、パスポートとビザの区別もろくにできない、飛行機に乗るときの手続きも知らないビギナーであった当時の私にとってはたいへんなことだったのです。帰国後に知ったのですが、当時のルーマニアは、出国後の国のビザを持っていれば通過ビザは入国時に無料で取得できるとのことでした。ブルガリアのビザを取得していた(パスポートに張り付けてある)ので、無事で済んだ訳です。
続いて、荷物検査が始まります。また、長時間かかったら、と始まる前からいささかうんざりです。今度は、厳めしい制服に身を包もうとしても包みきれない巨大なオバちゃん検査官がやってきました(ソ連、東欧には男女を問わず立派な体格をされた方が非常に多数いらっしゃいます。体重計1台で測れる120キロを越えなければ許容範囲だということです)。オバちゃんがコンパートメントに入ると部屋の容積が減り酸素が足りなくなるので、私はコンパートメントの外に追い出されます。オバちゃんは私のベッドに座り、整理がまだ終わってないトランクを開けると、あっちこっちと手を入れては変なものが入ってないかを調べています。私は一人で勝手に緊張します。オバちゃんが座っている私のベッドが重みに耐えかねて「キー、キキキー、キー」ときしんでいるからです。ここでベッドを壊されたら私の寝る場所はありません。ソ連のホテルでよく起こるトラブルとして、突然テレビが火を吹くというのが有名でしたが(だから、ソ連のホテルに着くとまずテレビのプラグを抜いてました)、客の体重でベッドが壊れるということも日常茶飯事だということが思い出されます。ホテルにはベッドの修理工が24時間体制で詰めているそうですが、列車内にはさすがにいないでしょう。車中あと2泊、最高気温氷点下10度のモスクワからはかなり南下したといっても、暖房が効いているとはいっても、床の上は寝るには寒すぎます。一つの問題が解消されても、新たな問題が起こるかもなあ、と思いつつ見守ります。
幸い、今度は10分ほどで終了でした。オバちゃんは荷物をそう荒らすことなく、ベッドを破壊することもなく、何も言わずに去って行きました。ウンゲニー駅到着から5時間くらい経過していました。ようやく、私の人生最初の陸路の国境越えは終わりました。25時間あったダニューブ・エクスプレス2日目はようやく終わりました。オバちゃんの体重に耐えきったベッドをねぎらいつつ、私は眠りに落ちました。国境越えはあと2回待っています。

(列車はちっとも前に進んでいませんが今回はここまでです。話が前に進まないのは何もかも国境が悪いのです。私も長時間停止せざるを得ません)

片岡尚樹

スタートダッシュが命!

2011 年 5 月 9 日 月曜日

 GWも開け、各高校で中間考査へ突入する時期が近づいて来ました。新高1生のみなさんは、もう高校におけるライフスタイルが確立できたでしょうか?
 4月中は何もかもが初めてでバタバタの日々だったでしょうが、そろそろ新しい環境にも慣れてきた頃ではないかと思います。「●曜日は予習が多いから、部活がオフの◆曜日の夕方にやっておかないとヤバい」「家で勉強したら確実に寝てしまうから、■曜日には自習室に行こう!」と意識的に自分に適切な負荷をかけて生活を送ると、学力のみならず、計画力や実行力といった自己管理能力も伸ばし、自分を成長させることができます。
 実際に、私の担当する草津駅前教室・大津京駅前教室でも、生徒たちは部活に完全燃焼しつつ、この春の入試で国公立・関関同立への合格通知を手にしています。やはり入試で成功する生徒に共通して見られる傾向は「自分に甘えていない」という気質であると私は考えます。その意識は、私たち教師に口うるさく言われて身につけられるものではなく、自分が変わることで身につけられるものです。何事も最初が肝心!!
 各教室では、まもなくテスト対策に入ります。最初の考査の結果が、良くも悪くも3年間続くというのはよくあることです。私たちも精一杯バックアップするので、頑張っていきましょう!!
 
英語科

さあ、最初の関門です!!

2011 年 5 月 2 日 月曜日

 新高校1年生の皆さんは、合格の喜びから一転、新生活への対応に追われている日々を送っていることでしょう。部活動に参加した人は、なおさら時間に追われる毎日を過ごしているのではないでしょうか?
 開成ハイスクールの「高1準備授業」に参加した皆さん、ねっ・・・嘘じゃなかったでしょ??宿題の量も、授業の進度も、難しさも中学校の比ではないのです!!最近、「学校の授業がだんだん分からなくなってきた」という声をよく耳にします。
 この時点で脱落しかけている人は、ここが踏ん張りどころです!!どうしてかって??
それは、GWがあるからです。もちろん、宿題もガッツリ出ます。毎年、このGWを無事に乗り越えられずに、授業についていけなくなる生徒、学校が嫌になってしまう生徒なども出てしまいます。
 そして、前・後期制でない学校のみなさんは、5月の半ば過ぎに第1考査があります。ここで失敗すると、もはや戦意喪失です。
 よく夏を制する者は受験を制する、なんて聞きますが、夏を前に落ち武者になってしまっては困ります。
 生活のリズムを立て直す絶好の機会です!!そうそうチャンスは巡ってきません。時期を逸せず高校生活を満喫しましょう。
 
 
開成ハイスクール弁天町教室 濱田健太郎

人の成長を見ることができる喜び

2011 年 4 月 25 日 月曜日

先日、教え子の結婚式の二次会に行ってきました。
最初は仕事があったので断ろうかと思ったのですが、二次会なら少し遅れていってもいいかと思い、OKの返事を出しました。
彼が高校2年生のときから知っているのですが、立派な大人になっていました。
久しぶりに彼のお母さんとも再会し泣いてしまいました。

彼はなかなか言うことを聞かない生徒でした。
私とも何回か衝突したことがあります。
でも、そのとき未熟な私はその原因を探ろうとしていませんでした。
後で聞いてわかったことがたくさんあります。

彼は母子家庭で、働きながら塾に通い、そして母と妹を支えていたのです。
私はそんなことも察知できず、勉強のことばかり指導していました。
彼と面談しているときに私は泣いて謝りました。
彼も泣いて許してくれました。

彼は二次会で「高校時代、父親の代わりをしてくれた人」と私を紹介してくれました。
私はスピーチを頼まれていましたが、泣きすぎて何を言ったか覚えていません。

彼は成長しました。
きっといい父親になれるはずです。
辛いこともたくさんあったでしょう。
でもそれを乗り越えて今、彼がいます。

元気をたくさんもらった1日でした。

 
開成ハイスクール西田辺教室 大道英毅

苦手意識について ~新年度に向けてのアドバイス~

2011 年 4 月 19 日 火曜日

 こんにちは。
年度が改まるとき、「気持ちを新たに」とよく言われますが、生徒諸君には、特に「苦手科目」に対する意識を新たにして欲しいと思います。
 学習内容の理解は、何と言っても、学校や塾の「授業」をきちんと聞く、ということから始まります。苦手科目の場合は、初めから「難しい」「分かるはずがない」という前提で授業を受けていることも多く、つまりは「自分から理解しようとしていない」ということになり、分かるはずのものも分からなくなってしまうでしょう。
 苦手科目というのは、最初から「苦手だ、嫌いだ」と思い込んでしまっていることもあるようです。確たる根拠もない、単なる「思い込み」です。でも、そう思ってしまうと、その科目に対して前向きに取り組むことができなくなり、本当に「苦手、嫌い」になってしまいます。
 「苦手だ」と思い込むのは、「できない」「分からない」ということに対する自己防衛の言い訳かもしれません。人間は、自ら思い描く自他のイメージと、現実が一致すると、安心感を抱きます。つまり、苦手だと思い込んでいる科目のテスト結果が実際に悪ければ、現実がイメージと合致するわけですから、変に安心してしまうのです。そうした心理状況からは、改善や上昇といった意識は生じ難いものです。逆に、その科目に対する自己能力のイメージを高く抱いている人が、そのイメージに合致しない成績をテストでとってしまった場合、イメージと現実とのギャップが「違和感」「不協和感」を引き起こし、当然その不快さを払拭しようとするでしょう。つまり、ギャップを埋めるための取り組みです。これが、能動的な努力の出発点となるのです。
 その科目に対する自己イメージを、高く見積もるか、低く抱くかは、その人の自由選択です。新たな学年は、これまでのイメージを払拭するチャンスです。特に、「苦手意識」には、客観的根拠などないのですから。

いよいよ新学期スタートです!

2011 年 4 月 11 日 月曜日

 春休みもいよいよ終わり、新学期がスタートします。それに暖かい日も増えいよいよ春がやってきたなという感じですね。

 今日は成功する秘訣について書きたいと思います。
よく成功している人は、たまたま成功しているように見ますが、ほとんどの場合は、用意周到の準備された必然的な成功が多いと私は考えています。

 成功している人は、成功をイメージし、そこにいたるまでの努力を惜しまず行い、成功しています。たとえば、小説を書いて成功しようと考えた人がいます。
 まず小説を書かないと小説家となり成功することはできません。しかしその小説を書くことは才能だけでなせるものではありません。私もみんなも自分で小説を書いて、人を感動させることができるとは思わないと思います。文字だけで人を感動させることは非常に難しいことです。私なんて、直接身振り手振りを交えて話しても相手を感動させ涙させることができるとは思いません。それを文字だけで実現するということは本当にすごいことです。

 ではなぜ、小説を書いて人を感動させることができる人がいるのでしょうか。それは、小説家の人が小説の勉強以外の多くのことを含め、努力し分析しているからでしょう。また小説を書き、それを出版社に持ち込むなど具体的な行動も成功のためには必要となります。

 春ですので、何かスタートするにはよい季節となりました。あなたの成功のイメージのために何か始めてみてもよいのではないでしょうか。私も最近読めていない小説を読んでみようと思います。よい春のスタートが切れるとうれしいですね☆

前田佳邦

この4月に想うこと

2011 年 4 月 4 日 月曜日

みなさん、こんにちは。そして、高校合格を勝ち取られた皆さん、おめでとうございます。
桜の開花予想によると、近畿でも開花が始まり、4月の初旬には満開を迎えるようです。希望を胸に秘め、新年度を迎える季節ですが、東北地方を中心に大地震と大津波が襲い、今もなおその影響が現在進行形で広がっています。私自身、15年ほど前、阪神大震災を経験しましたが、そのときと較べて大きく変わったのは、一つ前のブログで片岡先生が書いているように、さまざまな情報が私たちの耳に入ってくるようになったということでしょうか。恥ずかしながら、私自身も情報の波に翻弄されそうなところもありましたが、その中でもいくつか目に留め、自身を振り返る機会があったので、そのうち一つを紹介させてください。約80年前に書かれた寺田寅彦の「津浪と人間」からです。少し長いですが、一部引用させてください(著作権の切れた書籍をネット上で公開している青空文庫より引用しています。全文はhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/4668_13510.htmlで見てください。)。

学者の立場からは通例次のように云われるらしい。「この地方に数年あるいは数十年ごとに津浪の起るのは既定の事実である。それだのにこれに備うる事もせず、また強い地震の後には津浪の来る恐れがあるというくらいの見やすい道理もわきまえずに、うかうかしているというのはそもそも不用意千万なことである。」
 しかしまた、罹災者の側に云わせれば、また次のような申し分がある。「それほど分かっている事なら、何故津浪の前に間に合うように警告を与えてくれないのか。正確な時日に予報出来ないまでも、もうそろそろ危ないと思ったら、もう少し前にそう云ってくれてもいいではないか、今まで黙っていて、災害のあった後に急にそんなことを云うのはひどい。」
 すると、学者の方では「それはもう十年も二十年も前にとうに警告を与えてあるのに、それに注意しないからいけない」という。するとまた、罹災民は「二十年も前のことなどこのせち辛い世の中でとても覚えてはいられない」という。これはどちらの云い分にも道理がある。つまり、これが人間界の「現象」なのである。
 災害直後時を移さず政府各方面の官吏、各新聞記者、各方面の学者が駆付けて詳細な調査をする。そうして周到な津浪災害予防案が考究され、発表され、その実行が奨励されるであろう。
 さて、それから更に三十七年経ったとする。その時には、今度の津浪を調べた役人、学者、新聞記者は大抵もう故人となっているか、さもなくとも世間からは隠退している。そうして、今回の津浪の時に働き盛り分別盛りであった当該地方の人々も同様である。そうして災害当時まだ物心のつくか付かぬであった人達が、その今から三十七年後の地方の中堅人士となっているのである。三十七年と云えば大して長くも聞こえないが、日数にすれば一万三千五百五日である。その間に朝日夕日は一万三千五百五回ずつ平和な浜辺の平均水準線に近い波打際を照らすのである。津浪に懲りて、はじめは高い処だけに住居を移していても、五年たち、十年たち、十五年二十年とたつ間には、やはりいつともなく低い処を求めて人口は移って行くであろう。そうして運命の一万数千日の終りの日が忍びやかに近づくのである。鉄砲の音に驚いて立った海猫が、いつの間にかまた寄って来るのと本質的の区別はないのである。

この文章は昭和8年に東北を襲った地震と津浪を受けて書かれた文章ですが、まったくもって現在の状況と同じ状況が繰り返されているのだな、という思いをもたされました。またここまでだと人間は進歩しないものというようにも読めますが、この文章は以下のように続きます。

(中略)
困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じように行われるのである。科学の方則とは畢竟「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。
(中略)
科学が今日のように発達したのは過去の伝統の基礎の上に時代時代の経験を丹念に克明に築き上げた結果である。それだからこそ、颱風が吹いても地震が揺ってもびくとも動かぬ殿堂が出来たのである。二千年の歴史によって代表された経験的基礎を無視して他所から借り集めた風土に合わぬ材料で建てた仮小屋のような新しい哲学などはよくよく吟味しないと甚だ危ないものである。それにもかかわらず、うかうかとそういうものに頼って脚下の安全なものを棄てようとする、それと同じ心理が、正しく地震や津浪の災害を招致する、というよりはむしろ、地震や津浪から災害を製造する原動力になるのである。
(中略)
自然の方則は人間の力では枉げられない。この点では人間も昆虫も全く同じ境界にある。それで吾々も昆虫と同様明日の事など心配せずに、その日その日を享楽して行って、一朝天災に襲われれば綺麗にあきらめる。そうして滅亡するか復興するかはただその時の偶然の運命に任せるということにする外はないという棄て鉢の哲学も可能である。
 しかし、昆虫はおそらく明日に関する知識はもっていないであろうと思われるのに、人間の科学は人間に未来の知識を授ける。この点はたしかに人間と昆虫とでちがうようである。それで日本国民のこれら災害に関する科学知識の水準をずっと高めることが出来れば、その時にはじめて天災の予防が可能になるであろうと思われる。この水準を高めるには何よりも先ず、普通教育で、もっと立入った地震津浪の知識を授ける必要がある。

中学から高校に進学しても、やはり勉強は続きます。なんのための勉強だろうと思うこともあるでしょう。寺田寅彦は「人間の科学は人間に未来の知識を授ける」と言っています。不肖ながら私自身も大学で長く科学を学びました。その経験から言えることは、知識は人の目を開かせるということです。挫けることなく学ぶことを忘れないで下さい。出来るかぎり良いといわれる大学を目指してください。そこで学ぶこと、出会う人を通して多くの宝を得ることができます。それが皆さんの未来を作っていきます。開成ハイスクールは、そんな皆さんのお手伝いができると確信しています。

数学科 村上 豊