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私が教育業界に入ったある塾でのエピソード

川西駅前教室 学習プランナー

今井隆雄先生

好きなもの…
コーヒーが好きです。先日もコーヒーメーカーの前で買おうかどうしようか30分ほど迷いましたが、結局やめました。


最近はまっているもの…
「寅さん」の山田洋次監督にはまってます。「学校」と「息子」は見てほしいです。

少なくとも彼女が最後に何かをやりきったということは自分は理解できた

 私が教育業界に入った理由の一つをお話したいと思います。
 私は昔、別業種の会社にいました。その会社に以前自分で個人塾を経営していた先輩がいました。その先輩から塾時代のいろいろな話を聞いていたのですが、その中の一つに大変興味深い話がありました。
 その先輩が自分で塾を立ち上げ、ようやく経営も軌道に乗り出してきたある年の春先に、一人の女の子が教室にやってきたそうです。
 その子は高校3年のときに病気で入院し、受験ができないまま2年ほど病院にいたそうです。最近良くなって退院したので、あらためて受験がしたいということでした。どの程度学力をつけられるかはわからないが、来年の受験を目指して頑張るということで、授業を始めることになりました。
 病み上がりということもあって、最初は体力的につらかったそうです。学力的にも2年のブランクがあるため、高校内容はほとんど忘れていました。ただ真面目な性格で先輩のいうこともよく聞き、日々の勉強や課題をこなしながら、少しずつ成績も向上していきました。
 夏の暑い日はさすがに体力的にきつく、毎日お父さんに送ってもらいながら、塾への階段を登ってきたことが印象に残っていると先輩は言っていました。
 秋口になっていくつか大学をまわり、その中からお気に入りの大学を見つけ、そこを志望校にしました。彼女に合った素敵な大学だったそうです。明確な目標を見つけたことで、彼女はさらに熱心に勉強するようになりました。
 ある日、彼女から先輩にその大学の過去問題集を買ってくるよう言われ、買ってきたその赤い問題集を先輩に見せました。
「受かっても受からなくても、受験が終わったらその本、塾に寄付して。」
と先輩が冗談まじりに言うと
「受からなくてもは余計や。」
と笑ったりしていたそうです。
 冬になり年の暮れになると、体調を崩してマスクをつけることが多くなってきたそうです。それでも毎日塾に来て先輩と一緒に最後のスパートをかけていました。
 本番が迫ると緊張からか表情が固くなっていたそうですが、結局受験した大学はすべて合格しました。さすがに一年間の疲れが出たのか、体調を崩した様子で、合格の連絡はお父さんが電話でしてくれました。
 「今までありがとうございました。本人も大変喜んでいます。また近々お礼に伺います。」と丁寧にお父さんは言いました。
 先輩は彼女と会って話をしたかったのですが、この一年間本当によく頑張ったので、ゆっくり休んでほしいと思い、とにかく合格してよかったと大変喜んだそうです。 
 やがて春が来て、また新たな生徒が教室にやってきました。二年のブランクがあっても地道に努力をすれば、彼女のようにいきたい大学に合格できる。偏差値が足りずに入塾してくる生徒に、先輩はそういって励ましました。今頃は彼女も一番行きたかった学校で、楽しい大学生活を過ごしているんだろうなあと思うと、自然とうれしさがこみあげてきたそうです。 
 それから二ヶ月くらいたったある日、教室にお父さんがお礼にやってきました。
「その節はありがとうございました。娘が大変お世話になりました。」
 お父さんは彼女に似たおっとりとした笑顔で挨拶しました。そして、
「娘からことづかりまして。」
と言って 一冊の本を先輩に手渡しました。
 あの大学の過去問題集でした。
「娘に寄付してくれ」と頼まれたそうで。
 先輩はそれを受け取ると、
「いやいやそうなんですよ。申し訳ありません。わざわざありがとうございます。」
とお礼を言いました。
 本は書き込みもなくきれいでした。寄付するのを見越してきれいに使ってくれていたんだなと先輩は思いました。
 先輩は彼女の姿を思い出して懐かしくなりました。結局合格発表の前以来、顔を見ていなかったのです。先輩は彼女が今日お父さんと一緒に来ていないのを残念に思いながら、
「彼女はどうですか?さぞかし大学生活を楽しんでるでしょうね?」
とお父さんにたずねました。
 するとお父さんは一瞬困ったような顔をしたそうですが、すぐに笑顔に戻り、
「娘はなくなりました。」
と言いました。
「受験が終わってからすぐ入院して、そのままなくなりました。そのとき過去問を塾に持っていってほしいと言われておりまして。」
と頭をかきながら、照れくさそうに
「一段落するのに時間がかかってしまって、届けるのが遅くなってしまいました。申し訳ない。」
 先輩はうまく状況が飲み込めなくて、すぐに言葉が出てこなかったそうです。「そうですか」とか「なるほど」とか馬鹿みたいな相槌を打った記憶はあるが、その時のことはあまり覚えていないと先輩は言っていました。
 お父さんが帰られたあと、赤い過去問だけ残りました。先輩はそれを問題集や参考書が並んでいる塾の本棚にしまいました。
 先輩は一人になってから、とにかく合格はしたが一度も大学に通うことなく亡くなったんだなということや、もしかしたら最初から自分の余命を知っていたんじゃないかとか、知っていたとしたらいつから知っていたんだろうかとか、そういったことを考えたそうです。
 その話を聞いて私は、受験が彼女の寿命をのばしたのかもしれないと思ったり、逆に短くさせたのかもしれないと思ったり、またもし自分の余命を知っていたとしたら、そもそもなぜ彼女は受験しようと思ったのかとか、いろいろ考えましたが、少なくとも彼女は最後に何かをやりきったんだなということだけは確実に理解ができて、先輩にそのことを言うと先輩も納得していました。
 これが私が教育業界に入ったきっかけかどうかはわからないですが、理由の一つにはなったようです。

※本文中の赴任教室名・部署名は原稿当時のものです。現在とは異なる場合があります。

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