小学生・中学生・高校生対象の学力アップ・中学受験・高校受験・大学受験志望校合格を目指す個別指導の学習塾

震災と父の死を通して知った、一日一日を大切に生きること。

教務課 イベント推進チーム

手島健二郎先生

趣味は温泉に入りに遠出すること。
日帰りで和歌山や、奈良の山奥など遠くまで行き、温泉に入って疲れを癒した後、車を運転して帰ってきたら結局疲れるという悲しい現実を何度も経験するも、また行きたくなるという残念な男です。

1995年1月17日午前5時46分。
下からのドーンという大きな音と共に突き上げられ、その直後経験したこともない揺れに襲われました。後に阪神淡路大震災と呼ばれるものです。
私は当時神戸市灘区に住んでいる18歳の高校3年生でした。私の家族は幸いにして全員無事でしたが、家は崩れかけていました。
何とか無事だった私たちは近所で生き埋めになっている人たちを助けたり、また、既に亡くなっておられる方を瓦礫の下から出したりという作業をおこないました。また私の友人は家族を4人家族でしたが、その地震の被害にあい、他の家族を全て失いました。
平凡に何も考えずに将来どうなるのかも考えずに生きてきた私にとって、急に「死」というものが接近してきた出来事でした。
そういっても当時の私は高校3年生ですが、勉強もまともにせずに、たまに教科書を読むくらいで勉強した気になっているような状況でした。
結局勉強の仕方も分からずに2月の大学受験を受けましたが見事に全て失敗に終わりました。受験した大学全てに落ちてさすがに落ち込みましたが、全て地震があって高3の3学期の授業が全てなくなってしまったから仕方ないと自分の中で言い訳する始末でした。
そんな私を見てこれ以上大学受験を続けさせても仕方ないと思ったのか、父は後期入試を受けずに予備校へ入学するように薦めました。地震で家が全壊の罹災証明をもらっていたことで年間の学費が免除になったことも不幸中の幸いだったでしょう。

4月になり、予備校の英語の最初の授業。先生は「人生は棺桶に片足突っ込んだ時に自分で満足できるかどうかですよ」と言われました。
地震を経験し、他の人の「死」を目の前で見た私はなんとなくではありますがその先生の言葉が理解できたような気がしました。
そして私の浪人時代は始まります。授業が高校に比べて分かりやすいことや、最初に受けた模試で意外なほど良い結果がでたことや、私立文系なので3教科に絞って勉強できたことなど様々な要因はあったと思いますが、地震が「今、しなければ明日はないかもしれない」ということを感じさせてくれたからこそ、「自分の人生ココが頑張りどころだ!」という覚悟が出来たのだと思います。
1日8時間勉強。夏以降は1日10時間勉強しました。本当にあの時は見たいテレビも我慢し、ちょっと休みたいと思ってから15分だけ勉強を延長させてから休憩するなど、様々な我慢をして勉強しました。
おかげさまで現役当時偏差値43の大学に落ちた私が、偏差値58の大学に合格することが出来ました。
浪人して予備校に行っても多くの学生は現役時代の志望校に合格することがやっとです。私自身も地震を経験せずに高3のときのまま予備校に行ってもおそらくそんなに成績は上がらなかったでしょう。

大学へ入学した年の8月、地震後の心労や東京への単身赴任など様々なストレスが重なったのでしょう、父の体に癌が見つかりました。しかも末期。投薬や放射線などのかいもなく10月に他界してしまいました。葬儀には大勢の方が弔問に訪れてくました。
私はこのとき急に「人生は棺桶に片足突っ込んだ時に自分で満足できるかどうかですよ」という予備校の英語の先生が最初の授業でお話された言葉が鮮明に浮かんできました。
いまだにその授業の光景を思い出すことが出来ます。先生の表情、自分の座っていた席の位置…
それまでなんとなくこの先生の言葉を理解していたつもりになっていた私がようやく本当に自分にとって一番身近な父親が亡くなることで理解できたというより我が事として捕らえることができたのです。

人はいつ死ぬか分かりませし、人生の中で後悔もするでしょうし、間違った人生の選択をするかもしれない。しかし私は死に直面したその瞬間にそのような後悔や失敗があったからこそ後に生かすことができ、いい人生を送れたなあと思えたらいいのだと理解しました。

だからこそ、その一瞬一瞬を大切に生きてほしい。

私はフリーステップの学習プランナーという仕事がら多くの学生とお話します。「受験に受かるためにはココをこういう風にしよう」「この時期はコレを完璧にしよう」など、時には受験テクニックのようなこともお話します。それと同時に私は受験とは厳しいものだと伝えたいのです。そしてその厳しいものを何かを我慢して我慢して最後に成し遂げるからこそ人生最後のときに自分の人生に満足できるのだと伝えたいのです。

ただ、そうはいっても、私自身結局予備校の先生が言われた言葉を本当に自分の皮膚感覚として捕らえるには自分の父親の死がなければ捕らえられませんでした。しかし、父の死の前にそう言ってくれたことが私にとって大事だったのだと思います。
今学習プランナーとしてお話する受験生にこのようなことを言葉だけで伝えてもその瞬間から理解してくれる生徒はいないでしょう。しかし、いざという時に、何かあったときに思い出してくれたらそれでいいと思っています。「ああ、あの時学習プランナーが言っていたのはこのことか」と。

今すぐでなくていいです。もう少し先に気づいてくれるのでいいです。「一日一日を大事に生き、人生の最後の時に良かったと思ってもらいたい。」私はそう願って仕事をしています。

※本文中の赴任教室名・部署名は原稿当時のものです。現在とは異なる場合があります。

ページの先頭へ