【今さらジロー】公募制推薦はルール違反なのか?【文科省の今回の姿勢】

2025年1月7日

『文部科学省は24日、大学入試の実施要項で「2月1日から」と定めた学力試験の期日を順守するよう全国の大学に通知した。東洋大(東京)と大東文化大(同)が今年導入した新方式の学校推薦型選抜では11~12月に学力試験を実施したが、文科省は学力試験の前倒しを容認しない姿勢を示した。』以上、読売新聞オンライン、12月24日配信より引用。

そもそも近畿圏では一般的となっていた公募制推薦を首都圏で東洋大学と大東文化大学が2025年度入試より取り入れたのですが、首都圏ではこの日程で学力試験を行う大学が他に無いので、東洋大学に約2万人の受験生が集まってしまった、という背景があります。

大学入試の早期化は高校の学びを圧迫するデメリットもありますので、大学による早期学生確保(いわゆる青田刈り)が横行しないように釘を刺した形です。

しかし、1990年代から始まった近畿圏の公募制推薦は併願制のものが多く、公募制推薦で一勝を挙げておいてから、第一志望の大学を一般選抜で受験するという使われ方が一般的になっています。公募制推薦で学生を確保する大学と一般選抜がメインの大学という住みわけができているわけです。

それに、文部科学省は平成17年(2005年)に「いかなる入試方法であっても基礎学力の把握が適切に行われるべきであるとの認識に立って、学力に関わる様々な客観的な指標を活用し,学力把握措置を講じる。」「さらに、文系・理系の区別にかかわらず、幅広い総合的な学力を問う学力検査を行ったり、募集単位を大くくりにしたりすることを積極的に検討する。」と推薦入試で学力検査をすることをむしろ奨励しているわけです。中央教育審議会 大学分科会(第71回)議事録・配付資料 [資料4-2] 第2章 第3節 入学者受入れの方針について(高等学校段階の学習成果の適切な把握・評価を)-文部科学省

ちょっと歴史を振り返ると、戦前・戦中に実質思想検査になってしまった面接試験を含む推薦入試は、その反省から戦後は無くなります。しかし文部省(当時)による1967年の推薦入試の公認、1970年の面接または小論文の推奨と、復活してきました。1993年の大学審議会報告によって推薦入試の自粛が求められ、一度下火になりますが、その後1995年には定員の3割を超えないこと、学力テストを行わないことを条件に再び推薦入試が認められるようになります。その後2000年には3割枠が5割に拡大され、推薦入試による入学者が増えていきました。一方でその質を問う議論も始まり、2011年には推薦入試でも学力を問うことを「要項」に記載することが求められました。つまり今回の文科省の姿勢は、これらの歴史的背景を無視したものだといえます。歴史も大切よ、というわけで、小柳ルミ子をご存じの世代に向けたブログのタイトルになったのでした。