【夏だ!】大阪成蹊大学 オープンキャンパス(その1)【学校に行こう】

2024年7月29日 月曜日

最近、大阪成蹊大学から入試関連のご案内がガンガン届くようになりました。新キャンパスの竣工、学部の新設など攻めの姿勢になったということでしょうか。

今回は地域でも定評のある教育学部の特別体験授業の案内です。事前申し込み制ですが、当日参加も可能だそうです。教育系の進学を目指している高校生は参加してみてはいかがでしょうか。

【夏だ!】阪南大学 公募制推薦入試 合格対策講座【学校に行こう!】

2024年7月26日 金曜日

大阪府松原市に本部がある阪南大学から案内が届きました。松原市といっても大和川に近く、天王寺・大阪阿倍野橋から近鉄南大阪線に乗れば、11分で河内天美(阪南大学前)の駅に着きますが、ここから徒歩6分という好立地です。こちらで5学部合計4,340名(2024年5月1日現在)の学生が学んでいます。大阪産業大学とほぼ同時に創立された「大鉄工学校」がルーツ、つまりこのころは鉄道人材の育成が急務だったということですね。

今回の案内は9月のイベントですが、9月といえば多くの大学で総合型選抜の出願が始まっている頃です。そこで、阪南大学はその次の入試である公募制推薦に向けた合格対策講座を開催するというわけです。今年もS台予備校による出題傾向や攻略ポイントに関する解説付きです。

というわけで、阪南大学に公募制推薦から参戦しようという受験生は是非ご参加ください。

【夏だ!】大阪産業大学 オープンキャンパス【学校に行こう!】

2024年7月25日 木曜日

満州事変のきっかけの一つとされる張作霖爆殺事件のあった1928年(昭和3年)に大阪市北区兎我野町に創立された「大阪鉄道学校」がルーツの大阪産業大学についてのお話です。1951年には大阪交通学園、1965年には大阪産業大学と名称を変更しました。1990年代、工学部には機械工学に加えて電気電子工学科や情報システム工学科、土木工学科を設置するなど理系分野が特徴的だったのですが、その後経営学部の流通学科や国際学部など文系分野が大きくなり、現在では国際学部、スポーツ健康学部、経営学部、経済学部、デザイン工学部、工学部の6学部体制となっています。

ここで2025年度から「情報デザイン学部」「建築・環境デザイン学部」「システム工学部」の設置を構想中、と発表されています。新学部といっても既存のデザイン工学部と工学部で行われていた教育と研究をベースにしますので、安心感はありますね。

というわけで、そこも含めて説明を聞いてみましょう。

【夏だ!】帝塚山大学 オープンキャンパス【学校に行こう!】

2024年7月24日 水曜日

昨日のブログで帝塚山学院と帝塚山の違いはお判りいただけたと思いますが、こちらは奈良の帝塚山大学のオープンキャンパスです。学部ごとの説明や入試制度の説明はもちろん、総合型選抜の出願に必要なエントリーシートの書き方講座まで用意されています。キャンパスツアーや個別相談もありますので、実際にキャンパスでいろいろ見てきてはいかがでしょうか。申し込みは大学HPからどうぞ。

【一応】帝塚山学院と帝塚山学園は違います【念のため】

2024年7月23日 火曜日

帝塚山学園は奈良県の帝塚山中学校・高等学校や帝塚山大学を運営する法人です。大阪住吉区の帝塚山学院の創立25周年を記念して作られた別法人というわけで、無関係というわけではないのですが、現在では人的な交流も含めてそれぞれ独立した運営が行われています。

その違いに関して年表形式でまとめてみました。

在籍している生徒さんが間違えることはありませんが、一般の中高生が英検の試験会場として間違えたというトラブルもあったそうです。気をつけましょう。

【夏だ!】大阪工業大学 オープンキャンパス【学校に行こう!】

2024年7月22日 月曜日

大阪工業大学からもオープンキャンパスの案内が届きました。というより、1コーナーの担当させていただくことになりました。8月3日、4日、11日は私たちが講演します。準備しなくちゃ。

それ以外にも多彩なプログラムが用意されています。受験生は予約してから参加しましょう。

【大入り】関西8大学大研究・早慶上理GMARCH大研究 無事終了【満員御礼】

2024年7月16日 火曜日

7月13日に新大阪で開催された「関西8大学大研究・早慶上理GMARCH大研究」ですが、今年も大盛況でした。コロナ禍による休止期間を経て、昨年から復活したのですが、昨年来場者1,720名に対し、今年は2,105名と22%増!ウチの生徒数はこんなに増えてはいないので、大学を比較して選ぼう、またはもっと詳しく知りたい、という動きが活発になっているのでしょうか。暑い中ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。

関西8大学の入試担当者による講演も大盛況でした。今年は甲南大学説明会場の来場者数が明らかに昨年より増えていました。受験日程を変えるなど、入試改革の効果が早くも表れているようです。近畿大学も広い部屋が満席状態。やはり人気は高いようです。教育技術研究所の分析講演など当社社員によるコーナーも好評だったのですが、特に「推薦入試突破ガイダンス」が満席状態の人気となっており、受験生ニーズの変化も感じられました。

ここで業務連絡、いくつか落とし物・忘れ物が届いておりますので、お心当たりの方は各教室までお問い合わせください。

20年ぶりの新紙幣と学校【千円札】

2024年7月9日 火曜日

(続き)

新千円札=「近代日本医学の父」北里柴三郎

18歳で「西洋医学所」(現:熊本大学医学部)に入学した北里柴三郎はオランダ語を1年で習得し、2年目からはオランダ人教授の通訳を務めるようになりました。23歳で東京医学校(現:東大医学部)に進学し、その後ドイツ、ベルリン大学に留学し、コッホの下で血清療法という画期的な手法を開発し、世界から注目されるようになります。しかし上司にあたる東大教授の論文の内容を否定する指摘をきっかけに、森林太郎(森鴎外)ら東大教授陣を敵に回すことになり、帰国後国内で研究する場を失うことになりました。そこで福沢諭吉による資金援助で「私立伝染病研究所」を設立します。この研究所は国からの予算もついて「国立伝染病研究所」と発展しましたが、その15年後になんと確執のある東大の管轄になってしまいます。

そこで、北里はその研究所の所長を辞任し、私費を投じて「私立北里研究所」を設立します。それが現在の北里大学の母体となっています。北里大学は今日では東京白金、神奈川、青森にキャンパスを持ち、医学部に加えて獣医学部、薬学部など医療系を中心に8つの学部、7つの研究科を持つマンモス大学なのですが、運営する学校法人名は「北里研究所」と創立時の伝統を守っています。

福沢諭吉は1901年に亡くなりましたが、その16年後、慶應義塾大学に医学部(当時の組織名称は慶應義塾大学部医学科)の設置が許可されます。そこで福沢諭吉の長年の恩義に報いるべく、北里は生涯無給で学長を引き受け、医学部に超一流の研究者をそろえ、その発展に協力したのでした。

というわけで、新しいお札が手元に来たら、今日の多様な学校が生まれたきっかけについて一度考えを巡らしてみてはいかがでしょうか。

20年ぶりの新紙幣と学校【5千円札】

2024年7月8日 月曜日

(続き)

新5千円札=「女子に高等教育の門を開いた」津田梅子

津田塾大学の始祖として知られていますが、日本最初の女子留学生5名のうちの1人でもあります。5名のうち2名は体調不良等でほどなく帰国しますが、残った3名は11年間もの間アメリカで勉学に励みます。

帰国後、華族女学校(現:学習院女子中高)で英語教師となりますが、3年後に再びアメリカに留学し、次は3年間生物学の研究を行います。帰国後には華族女学校の教員に復帰しますが、女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)の教授も兼任しています。その後、最初にともに留学した2名の協力に加え、新渡戸稲造らの支援も得て「女子英学塾」を設立します。その後数度の移転を経て、規模が大きくなっていきました。しかし津田梅子は体調を崩し1929年に64歳で旅立ってしまいます。その4年後には「津田英学塾」と校名を改め、理科を併設して「津田塾専門学校」となり、戦後には私立女子大の最高峰と評される津田塾大学へと発展したのでした。自由で自立した個人としての女性の社会参画を目指し、個性を重視し全体主義を排する教育方針は、校歌、校章、校旗はあえて持たないという形で今でも受け継がれています。(続く)

20年ぶりの新紙幣と学校【1万円札】

2024年7月5日 金曜日

20年ぶりの新紙幣が7月3日に発行されました。そこに印刷される肖像も一新されるのですが、今回の紙幣に登場する方々と学校について調べてみました。

新1万円札=「近代日本経済の父」渋沢栄一

現在のりそな銀行やみずほ銀行のルーツである銀行の設立をはじめとして、多くの銀行の設立やその支援を行い、東京電力や東京ガス、日本経済新聞、キリンビール、サッポロビールの設立にも関係するなど実業家として知られていますが、学校の設立や運営にも協力しています。大倉喜八郎が設立した大倉商業学校(現:東京経済大学)や新島襄の同志社大学、桂太郎の拓殖大学の支援に加え伊藤博文、勝海舟らと共に日本女子大学を創立するなど、一人の人間が行ったとは思えないほど多くの学校の設立や支援を行いました。

(続く)