20年ぶりの新紙幣と学校【千円札】

2024年7月9日 火曜日

(続き)

新千円札=「近代日本医学の父」北里柴三郎

18歳で「西洋医学所」(現:熊本大学医学部)に入学した北里柴三郎はオランダ語を1年で習得し、2年目からはオランダ人教授の通訳を務めるようになりました。23歳で東京医学校(現:東大医学部)に進学し、その後ドイツ、ベルリン大学に留学し、コッホの下で血清療法という画期的な手法を開発し、世界から注目されるようになります。しかし上司にあたる東大教授の論文の内容を否定する指摘をきっかけに、森林太郎(森鴎外)ら東大教授陣を敵に回すことになり、帰国後国内で研究する場を失うことになりました。そこで福沢諭吉による資金援助で「私立伝染病研究所」を設立します。この研究所は国からの予算もついて「国立伝染病研究所」と発展しましたが、その15年後になんと確執のある東大の管轄になってしまいます。

そこで、北里はその研究所の所長を辞任し、私費を投じて「私立北里研究所」を設立します。それが現在の北里大学の母体となっています。北里大学は今日では東京白金、神奈川、青森にキャンパスを持ち、医学部に加えて獣医学部、薬学部など医療系を中心に8つの学部、7つの研究科を持つマンモス大学なのですが、運営する学校法人名は「北里研究所」と創立時の伝統を守っています。

福沢諭吉は1901年に亡くなりましたが、その16年後、慶應義塾大学に医学部(当時の組織名称は慶應義塾大学部医学科)の設置が許可されます。そこで福沢諭吉の長年の恩義に報いるべく、北里は生涯無給で学長を引き受け、医学部に超一流の研究者をそろえ、その発展に協力したのでした。

というわけで、新しいお札が手元に来たら、今日の多様な学校が生まれたきっかけについて一度考えを巡らしてみてはいかがでしょうか。