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開成教育グループ


私の大学受験(その1)

 こんにちは。

 私は高校の頃、アメリカンフットボール部に所属しており、一方でヘビーメタルのバンドを組んでボーカルを担当。何を隠そう、本気でプロのミュージシャンを目指していたのです。あげく、高校卒業後は「音楽修行でロンドンへ行く」などと言い出す始末。大学進学など全く視野になく、3年生になるまで、部活とバンドに明け暮れる毎日。その実、2年生末までの学年順位は、つねに2番(最下位から)でした。
 3年生の5月、引退試合の後で、部活の仲間たちが皆、口をそろえて言ったのです。「明日からは、いよいよ受験勉強だ」と。私は急に不安と孤独に苛まれました。アメフトのことしか考えていないと思っていた連中が、実は進学や将来のことを堅実に考えていた…。
 大学進学。受験勉強。夢に溺れ、夢に甘える若者にとっては、余りにも唐突に突きつけられた「現実」です。
 あれこれ逡巡するにつれ、不安は募るばかり。逃げるように、苦し紛れに思いついたのが、「とりあえず大学へ行って、ロンドンはそれから考えよう。」まさに逆説的ともいうべき、現実逃避から始まった大学受験なのでした。
 さて、まずは志望大学の選択です。「ロンドンへ行くには、やはり英語力が必要」とばかりに、瀟洒なイメージのある、同志社大学の英文科を選びました。父親に告げると、「うちには金がない。国公立しか行かせられん。」けんもほろろに却下されました。「ん?国公立?私立大とどう違う?」情けないことに、このとき初めて、センター試験や二次試験、そして受験科目について知ったのでした。
 とにかく2番(最下位から)から這い上がり、現役で国公立大に合格するには、二次試験の科目ができるだけ少ないほうがいい、と単純に考えた私は、学校に備え付けの受験情報誌を隈なく探し、ようやく探し当てたのが、群馬県の高崎経済大学。二次試験の科目(当時)は「小論文」のみ。これぞうってつけです。ところが父親曰く「お前を下宿させる金がどこにあるんだ。」また却下です。受験情報誌を開いて、検索のやり直し。「自宅から通え、しかも二次試験の科目が少ない国公立大学…」ありました。神戸市外国語大学。二次試験(当時)は英語と世界史の2教科。もうここしかありません。志望大学決定です。父親も了承。
 まったく何という大学選びでしょう。信念も志向もへったくれもありません。しかしともかくも、私の大学受験はこうして始まったのです。

つづく


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