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開成教育グループ


書を捨てよ、旅に出よう

毎日、蒸し暑い日々が続いています。とくに日本の、さらに大阪の蒸し暑さはただものではない凄まじさです。こんな日々が続くと、旅に出たくなります。というわけで、今回ははるか昔学生時代に行った旅行の話を書きます。

私は、今や世界史の教科書にしか登場しない国である「ソビエト連邦」に三週間行ったことがあります。東西冷戦(今や歴史用語になりましたが)の中、西側諸国の日本人が、東側の国家であるソ連に旅行するのは、ただならぬ困難がありました、というわけではありませんが、事前に、入国から出国までの全ての宿泊地と移動手段の予約を確保し(といっても代理店がしてくれることですが)、その支払いが完了した証明書を持って大使館へ行くとやっとビザが下りる(といっても代理店がしてくれることですが)という状況なので、準備には相当時間がかかりました。距離は近いですが、現在の韓国や中国のように「ちょっとそこまで」の感覚では行けませんでした。

季節は早春でしたが、シベリアはまだ冬でした。最低気温はマイナス30度くらいでした。とはいっても湿度も低く風もないので、思っていたほどの寒さは感じませんでした。シベリア鉄道にも三日間ほど乗っていましたが、暖房がきつすぎて暑いぐらいでした。そのため夜中の停車駅で涼みに出て鼻の中を凍らせて鼻血を出したり(なぜか私はなりませんでした)、冷たい飲み物を欲しくなるので、駅に売りに来るトナカイの未殺菌のミルクを一人一本飲んでお腹を壊したり(これも不思議なことに皆と同じように飲んだ私だけには何も起りませんでした、他の日本人たちが寝台車の中で、「うーーーーーーん、うーーーーーん、うーーーーーーーーん」とうなっている中、一人車窓の風景を眺めているのは本当に景気の悪い話です)などとよくある話だけで過ぎ去って行きました。

その後は中央アジア、今でいうウズベクスタンとトルクメニスタンに行きました。内側の壁やドアが全て木でできているプロペラ機に乗ったのもこのときです。当時のソビエト連邦では頻繁に墜落事故を起きていましたが、機体を見ればうなずける話でした。フライト中にコックピットのドアが大きな音を立てて開いたり、山にぶつかりそうになるたびに、大丈夫かと思っていました。窓際に座ると、すきま風が入ってきて風邪を引きそうになるのも困りものでした。今となっては淡々と書いていますが、当時も達観していたのか、感覚がマヒしていたのか、怖いとは全く感じませんでした(誰もがそうではなかったらしく、同行者の一人は途中でぶっ倒れてしまいました)。

まだまだ続くのですが、旅に出ることのメリットは何でしょうか。非日常の経験をするのも一つでしょう。あとは世界(もちろん日本も)広い半面狭いということを実感することではないでしょうか。いろいろな人たちに出会えます、いろんなものを見聞きします、そこから世界の広さを感じる半面、同じ人間なのだということを知ることで、世界の狭さを感じるかも知れません。少し次元が異なりますが、私はサンクトペテルブルクのホテルで、予備校時代に私の後ろの席に座っていた女の子にばったり再会しました。海外であった人に日本でばったり出会ったことも何度もあります。日本にも世界にもこんなに人間がいるのになぜと思います。どこにだれがいるかわかりません、悪いことはできません。

もちろん夏期講習もあります、宿題も山のようにあるでしょう、部活もあります。でもその合間にどこか旅に出るのはいかがでしょうか。私も夏期講習の合間にどこか(もちろん日本国内ですが)出かけてこようと思います。

片岡尚樹


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